解説「クンサン・ラマの教え」第一回(2)

クンサン・ラマの教え
パトゥル・リンポチェ
聖なる師たちの慈悲は、無限であり無条件である。
すべての聖なる師に礼拝いたします。
心の相承の勝者、
象徴の相承の持明者、
たぐいまれな幸運を得て悟りを得た師に導かれ、(自と他の)二つの目標を達した方々、
この三つの相承の師たち、みなさま方に礼拝いたします。
すべての現象が滅した広大な境地においてダルマカーヤの智慧に出会い、空性の明澄な光の中で現われたサンボーガカーヤの浄土に出会い、衆生を救うためにニルマーナカーヤのお姿をとって現われた、
全智のダルマの王(ロンチェン・ラブジャム)、あなたに礼拝いたします。
智慧によってあらゆる知るべきことの本質を理解し、慈しみの光はあまねく衆生を照らし、すべての乗の頂である甚深な道の教えを明らかにした、
リクジン・ジグメ・リンパ、 あなたに礼拝いたします。
師のお姿をした勝者ヴァジュラサットヴァそのものであり、教えを聞いた 誰もが解脱への道を固める。衆生の望みを満たす行ないは無限である。
慈悲深き根本グルよ、あなたに礼拝いたします。
全智のロンチェンパとその相承の著作には、仏陀のすべての教えが含まれている。
真髄の口頭伝授によって、一度の生で仏陀の境地に至る。
外と内の準備修行、最速の道である意識の転移の教え、
明瞭で理解しやすく、その意味は素晴らしく甚深である。
比類なきグルの口頭の教えは過ちがない。
わたしが覚えているそのままに、教えを説明しよう。
諸尊とグルの相承の祝福がありますように。
本書は、ゾクチェン・ロンチェン・ニンティクの共通の加行と特別な加行について、比類なき優れた師が口頭で与えた教えをそのまま記録した書であり、以下の三部からなる。
第一部:共通の加行
第二部:特別な加行
第三部:最速の道である意識の転移の要点
はい。まず、まあ、これは最初の序文としての、賛嘆の言葉、礼拝の言葉ですね。
パーッと見ていくと、「聖なる師たちの慈悲は、無限であり無条件である。 すべての聖なる師に礼拝いたします」と。
はい。この次に、「心の相承の勝者、象徴の相承の持明者、たぐいまれな幸運を得て悟りを得た師に導かれ、(自と他の)二つの目標を達した方々、この三つの相承の師たち、みなさま方に礼拝いたします。」
はい、つまりこれはまあゾクチェン、あるいは仏教全体ともいってもいいけども、それはいろんな聖者から聖者、師から師へと受け継がれてきたわけだけど、その受け継がれ方が、まあここに書かれてる三種類あるんだってことですね。
この中で最もオーソドックスなのは、もちろんこの三番目、つまり「たぐいまれな幸運を得て悟りを得た師に導かれ、(自と他の)二つの目標を達した方々」ってやつね。これはまあオーソドックスに、つまりたぐいまれな幸運によって、悟りを得た師に出会うことができたと。つまり具体的にその師から修行法を伝授され、で、いろいろなかたちで導かれ、いろいろありつつ、いろいろ乗り越えつつ、悟りに導かれ、「(自と他の)二つの目標」、つまり自分の解脱とそれからまあ救済、もしくは自分が人々を救済できるだけのブッダの境地に達したと。ね。これはまあ、ベーシックな修行ですね、修行を教えてもらって、しっかり修行して成就しました、っていう世界ね。
はい。で、そうじゃなくて、一番最初に「心の相承の勝者」ってあるけど、これは、そのような、つまり教えとか修行とかいらずに――つまりこれは最も深い、そして最も深遠な、教えの伝達があるんだと。もちろんこれは普通は不可能なんですけども、つまりなんの媒介もなく――まあつまり、もし皆さんが準備ができてそれを受けることができるとしたら、グルやあるいはブッダの祝福によって、いきなり悟る(笑)。もちろんこれは、まあ例えばグルへの奉仕に明け暮れた人がいきなり悟ったとかそういう話はあるけども、あれなんかはこれに近いかもしれない。つまり、それまでの奉仕とかによってグルと心を合わせるっていうのはもちろん必要なわけだけど――まあティローとナーローの関係とかもそうかもしれないね。うん。つまりひたすら――だからナーローの修行っていうのは、いろんな説明ができるけど、あの「ナーローの生涯」の解説も、まあいろんな角度から説明したけど、この話に沿って言うならば、ナーローがやってたことは、ひたすらティローと心を合わせることだと。つまりこの無媒介の伝授を受けられるだけの器づくりだったと。で、器ができた瞬間に、完全にティローとナーローの心が一つとなり、何もせずにナーローは悟ったと。
でもこれもナーローの話を見て分かると思うけど、何もせずに悟ったっていったって、その前が大変だからね(笑)。
(一同笑)
何もせずに悟れるようになるまでの器づくりが相当大変なんだけど。でもそれができた者にとっては、何もせずに教えが伝授されると。で、もういきなり悟ると。
はい。で、二番目が「象徴の相承」。これは、一番目まではいかないんだけど、つまり何もせずではないんだけど、まあ例えばある場合は瞑想によって、ある場合は、まあ実際に例えばいろんな物理的なさまざまな象徴を使うこともあるかもしれない。つまりもう一回言うと、三番目が言葉による普通の教え方ね。で、一番目は何も使わない。直接悟りを与えると。で、二番目はその中間で、言葉は使わないんだけど、まあ密教っていうのはいろんな意味で象徴を使いますけども、そのような物理的な象徴だけじゃなくて、例えばグルが、あるいはブッダがその弟子にある種のイメージを与えると。それを瞑想で経験し――つまり、なんていうかな、ちょっと説明が難しいけどさ、もう一回言うよ。一番目は何もなくもうそのまま悟る。で、次の段階は何かが必要である。で、その何かっていうのは、われわれはまだ非常にレベルが低いので、つまり粗雑なので、それは言葉じゃなきゃいけない。でも高い境地においては言葉じゃなくてもいいんです、その何かは。まあ言葉の場合もあるよ。でもそれは論理的じゃない言葉だったりする。まあこれもナーローとかの話でよくそういう話するけどさ、全くわけ分かんない言葉を例えばグルが発して、それで弟子がパッと悟っちゃうときがある。これがだから象徴の世界、つまり言葉よりもよりストレートで――つまり言葉っていうのは論理っていう一つの枠組みを利用してるから、だからその意味では間違いはないんだけど、間違いはないんだけど時間がかかるっていうかな。でもその辺を省略し、よりストレートに――まあ、だからこれも一番目ほどではないけども、逆に言えばそれが受けられるだけの器になるには相当な修行が必要であると。
まあ、だから一般論としても修行においてはこの三つの伝授の可能性があるわけだけど、特にこのゾクチェン、あるいは密教が伝えられてきた流れには、常にこの三つの流れの相承ね、三つの流れがあって伝えられてきたんだと。で、その三つのレベルの偉大な聖者方に、つまり、三つのレベルの修行で成就した聖者方に礼拝致しますと。
-
前の記事
解説「ラーマクリシュナの生涯」第一回(7) -
次の記事
最期の息が尽きるまで
