解説「自己の明け渡しのヨーガ」(8)

自己の明け渡しのヨーガⅡ
スワーミー・シヴァーナンダ
エゴを放棄し、主に対して、あなたのすべての不安や心配事の重荷を投げ出しなさい。彼に向けて、完全なる明け渡しを実践するのである。あなたは彼の恩寵を獲得するだろう。彼は完璧な方法で、あなたを世話してくださる。
困難や苦闘の中で、神はそれらに耐えるべく強さと内なる平安を、あなたにお与えになるだろう。これが彼の恩寵なのである。
絶え間なく主を思うこと、そして絶え間ない主の御名の詠唱は、あなたの心をサットヴァ(純粋性)と計り知れない強さで満たし、ひどく耐え難い状況にも完全なる冷静さと平静さをもって立ち向かえる心の平安を、あなたにもたらすであろう。
神に対して完璧な信を持ちなさい。彼に完全に明け渡しなさい。彼の愛に満ち溢れた御加護に身を投じなさい。全身全霊で、完璧な自信と信を持って、これを実践するのである。あなたの未来や蓄え、そして健康を憂う必要はない。彼はあなたを世話してくださるのだ。あなたは、十分な、計り知れない強さと、素晴らしい心身の健康状態を得るであろう。
「主はわたしの強さ、わたしの支え、そしてわたしの拠りどころ」――この詞章を、強い信仰を持って何度も繰り返しなさい。それによってあなたは、強さや力、および平穏を得るであろう。
主に自己を明け渡したら、身に起こる問題や障害に不平を言ってはならない。これは、自己の明け渡しに反することである。
神は、あなたにとって何が最善であるかご存じである。彼はあなたに最善のことを為してくださる。彼の手段は謎めいている。それを理解し、賢明であれ。
自己を明け渡すことにおいて、エゴイズムと欲望は障害である。この二つの敵を、冷酷に、情け容赦なく抹殺しなさい。
あなたは、「彼は正当ではない。残酷だ。彼は見る目がない。悪いやつほど世界で成功している。わたしは高潔であるがゆえに苦しんでいる。神などいるものか」などといって彼を非難することもあるかもしれない。だが後にあなたは、彼はあなたに最善を施してくださっていたということに気づくだろう。
はい。まあこの辺も、ねえ、カイラスではよく学んでるような内容ですけどね。パーッと見ていくと、
「エゴを放棄し、主に対して、あなたのすべての不安や心配事の重荷を投げ出しなさい。彼に向けて、完全なる明け渡しを実践するのである。あなたは彼の恩寵を獲得するだろう。彼は完璧な方法で、あなたを世話してくださる。」
さっきの話とも重なるし、よく出てくるような内容でもあるんで、あんまりこの辺は突っ込まないでサーッと見ていきますが。
「困難や苦闘の中で、神はそれらに耐えるべく強さと内なる平安を、あなたにお与えになるだろう。これが彼の恩寵なのである。」
はい。つまりさまざまな――これ、ヴィヴェーカーナンダとかもそういう教えをよく説くけどね――もちろん神は、われわれが幸せと思う状況もいっぱい与えてくださるかもしれない。でもあるときにはいろんな困難や苦闘をお与えくださる。で、それらの中でわれわれは神に鍛えられて、それらに耐えることのできる強さや内なる平安を神はお与えくださるんだと。
「絶え間なく主を思うこと、そして絶え間ない主の御名の詠唱は、あなたの心をサットヴァ(純粋性)と計り知れない強さで満たし、ひどく耐え難い状況にも完全なる冷静さと平静さをもって立ち向かえる心の平安を、あなたにもたらすであろう。」
はい。ラーマクリシュナ系とかもそうだけど、バクティの修行法っていうのは非常にシンプルで、まずひたすら、絶え間なく主を思うと。つまり、いわゆる「スマラナ」ってやつですけど、二十四時間、一瞬一瞬、神を思い続けなさいと。
いつも言うようにさ、現代で流行ってる、単純に自分の心を見つめるマインドフルネスとか、ああいうのはあまり、現代には実は合わないんじゃないかと思うね。つまりそんなにわれわれは清らかではない。そうじゃなくて、一瞬一瞬、まあ仏教では念仏っていうわけだけど、ブッダを念ずる。念仏ね。つまりブッダを、マインドフルネス、サティ、スムリティ、念ずると。同様に、このヨーガの世界においては神、さっき言った自分の愛する神のお姿、あるいは存在をずーっと思い続ける。もちろんなんかやっててもいいよ。なんかやってても――ラーマクリシュナの言葉を借りると、歯が痛い人は、何をしててもその歯に集中してるよね(笑)。一応いろんなことしたり考えたりできるんだけど、でも心は常にこの痛い歯にあるよね。そういう感覚で常に神への愛によって――あるいは、すごく恋愛に溺れてる人みたいにね。何してても、いろんなこともできるんだけど、でも常に頭からその恋人が離れない。こういう感じで神を思い続けなさいと。
そしてもう一つは神の御名の詠唱。はい。これはさ、ただ皆さんの場合、例えば加行とかいろんな修行とか、課題の修行ってある場合ね、もちろんそれをやっててかまわないんだけど。前にも言ったけど、つまりベーシックに、例えば皆さんがマントラ唱えたり詞章とか瞑想を日々やってる、それはもちろんやんなきゃいけないんだけど、なんとなくボーっとしてる時間をなくす。ボーっとしてるぐらいだったら、例えば「シヴァ、シヴァ、シヴァ」とかね、「ラーマ、ラーマ」、「ラーム、ラーム、ラム、ラム」とか、「クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ」とかね。もうそれが、なんていうか、癖になる感じ。もちろん特に自分の一番好きな神がいないんだったら、いろんなのでもいいよ。ラーマクリシュナもそのタイプだったみたいですけど。ラーマクリシュナは、もちろんカーリーが一番だけど、日々いろんな神のお名前を唱えると。それをまあ自分の癖みたいにしたらいいでしょうね。
で、その祝福によって、心はサットヴァで満ち、
「ひどく耐え難い状況にも完全なる冷静さと平静さをもって立ち向かえる心の平安を、あなたにもたらすであろう。」
と。
-
前の記事
解説「自己の明け渡しのヨーガ」(7)
