解説「菩薩の生き方」第二十七回(2)

はい。まず、「真理の教えを実践するという決意を心に堅く決める」と。
はい。これはこのままだね。最近よく言ってるけど、われわれは何度も、覚悟を持たなきゃいけないと。決意ね。この覚悟とか決意とか決心の心っていうのは、ものすごいパワーを持ちます。皆さんが心を決めたときに、すごいパワーがあります。
例えばさ、何度かこういう話するけど、例えば皆さん、この中で、そうだな、だらだら修行してる人がいるかもしれない。あるいは、そうですね、逃げ腰でやってる人もいるかもしれない。あるいは、そういった修行とか帰依とか菩提心とかに、わざとっていうかな、つまり怖いがゆえに、わざと心を浸らせずに、まだ世俗的な自分、あるいは以前のような自分を大事にしてる人もいるかもしれない。でもね、思うんだけど、そう言いつつさ、皆さんみたいにこうして、一生懸命、普通の人から見たら激しい修行をし、そして勉強会にしっかりと来てとか、あるいは日々実践してると。でも見てると、一部の人は、ね、しっかりそういう修行をしてるんだけど、あるいは教えの実践を何年もしてるわけだけど、例えば非常に否定的なことを言ったりすると。「わたしはあんまり修行が好きじゃないんだ」とか、あるいは、「バクティとか菩薩道とか、まだそこに乗りきれないんだ」とかね、そういう人もいると。でも多分ね、この流れを見たら――これは一つのケースとして言うならね、そのまま、八十歳ぐらいまで行くかもしれないよ。何を言ってるかっていうと、逃げ腰で、つまり、「いつでもなんかあったら修行やめようかな」とか、あるいは百パーセント心を入れられない状態でずーっといて、でも結局やるかもね、最後まで(笑)。つまり八十歳ぐらい、皆さんが八十歳ぐらいで死ぬとして、八十歳ぐらいまで、「おまえ、『おれは修行に逃げ腰だ』とか、『そこまで心が預けられない』とか言ってながら、結局八十歳までやってるじゃん」と(笑)。「何十年間やったじゃないか」と。それで死んでいくと。つまりあなたの後半生、つまり修行に出合ってからの人生は、見事に、多くが真理の法で、ね、いっぱいの人生だったじゃないかと。だったら、最初から覚悟を決めて、決意決めてやった方がいいじゃんと、良かったじゃんと。なぜなら、時間的にはどうせ同じ時間をやると。で、さっき言ったように、覚悟を決めるかどうかで全くその効果っていうか、パワーが違ってくるんだね。
でも、なんていうか、心の弱さ、あるいは心の小ささ等によって、人間はいつも逃げ道を求めると。だからラーマクリシュナが言うように、「修行者には矢でも鉄砲でも持って来い」ぐらいの強い気持ちが必要なんだと。
われわれはもちろん、一般的に、未来は分からないと。あるいは、真理っていうものをまだ、ほんとに理解してるわけではないと。しかしわれわれの心の奥が何かを察知してると。ああ、これは真理なんじゃないかなと。これはさっきの「入菩提行論の歌」にもあったように、このチャンスをわれわれはつかまなきゃいけないんじゃないかなと。そういうのを感じたら、それを信じるしかない。信じて、例えばギャンブルで――ギャンブルっていったらあれなんだけど、ギャンブルでいったら、もう全部賭けなきゃいけない。ね(笑)。コイン三つだけとかじゃなくて(笑)、全部賭けますと。それくらいの――ほんとはギャンブルじゃないんだけどね。ほんとは心が分かってるからギャンブルじゃないんだけど、でも頭っていうか表層の意識は馬鹿だから、表層の意識にとってはこれはギャンブルみたいなもんです。うん。でもそれでいいじゃないかと。全部賭けて、もしこの、わたしが命を懸けた、人生を懸けたこの仏教とかヨーガのダルマ、修行っていうものがインチキだったら、いいじゃないかと。それで人生を棒に振ったって別に同じじゃないかと。同じじゃないかっていうのは、修行しないで生きたってどうしようもない人生ですよ。こういうこと言うとあれだけど(笑)。どうしようもないっていうのは、みんながどうしようもないって言ってるんじゃなくて、一般論としてね。誰にとってもどうしようもない人生です。こんな人生なんてね。修行しなくたってどうしようもないんですよ。で、もし皆さん、修行一生懸命頑張って、「修行、嘘でしたー」ってなって、「あ、どうしようもねえな」――同じでしょ。だったら賭けた方がいいじゃないかと。ね。
だから、われわれのエゴっていうのは常に逃げ道を探すから、だからこういう感じで、エゴに言い聞かせるんだね。おまえは馬鹿かと。おまえがそういうことをやってる間にどんどん時間が過ぎ去っていって、あとには、さっきの歌にもあるように、後悔だけが残るぞと。おそらく皆さんしっかり一生懸命修行してれば、どんなに否定的な人も、あるいは逃げ腰な人も、そうですね、そのうち覚悟が決まってきます。でもそのときに多分後悔します。「ああ、もっと早く全力を出してればよかった」と。あるいは「もっと早く心を堅固に確定させてればよかった」と。だからこれは一つの大きなテーマだね。
大きなテーマっていうのは、よくわたしはこういう話をするわけだけど、だからといって、簡単に「はい」って、完璧に覚悟を持てるものでもない。でも持とうという努力は必要ですね。
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