解説「菩薩の生き方」第二十二回(4)

【本文】
天空のように無数に存在する敵を、私はすべて殺すことができるだろうか。
ただ私の怒りの心が殺されれば、すべての敵(という概念)は殺される。
【解説】
ここは忍辱の完成に対応する箇所ですが、ここに美しく説かれているように、自分の中の怒りが消え、敵という概念さえ滅されたなら、すべての敵はそもそも存在しなくなるのです。
もうおわかりでしょうが、ここでシャーンティデーヴァは、別に、六つのパーラミター一つ一つの意味を詳説しようとしているわけではありません。いかに自己の心を制することが重要であるかを、六つのパーラミターを例にして説いているのです。
そして次の部分によって、その教えはより真髄に近づいていきます。
はい。まあ、ここはとても有名な――有名なっていってもカイラスで有名なだけかもしれないけども(笑)、有名な美しいところだね。とてもこれは素晴らしい、美しい文章であるし、かつ大変な――ここっていうかこれらの一連の教えはね、『入菩提行論』――この第五章全体もそうなのかもしれないけど、『入菩提行論』の一つの核となってるところの一つですね。
「天空のように無数に存在する敵を、私はすべて殺すことができるだろうか。
ただ私の怒りの心が殺されれば、すべての敵(という概念)は殺される。」
はい。われわれは生きていればいろんな敵に出会うと。いろんな意味でね。ほんとにもろ敵っていうのもいるだろうし、あるいは自分の心や、いろんなものを害するような人間関係の相手とかね。いろんな意味で敵が登場するよね。普通はその敵を排除したいと思う。あるいは戦って打ち負かしたいと思う。でもすべての敵を、打ち倒す、排除するっていうのは全く不可能である。ね。もちろんカルマっていうのがあるわけだから、そういうかたちで強引に敵をやり込めたりして、自分のエゴを優先させたとしても、また次の敵が出てくるよね。もうきりがないと。
そうではなくて、自分の心さえ制することができたら――つまりわたしの怒りの心、怒りのカルマ――つまり他者の何かをガーッて戦って制するんじゃなくて、自分の心と戦う。自分の怒りの心と戦って、自分の怒りの心をゼロにできたら、別の言い方をすれば他者への、さっき言った害心ね、他者を害する気持ちをゼロにできたら、敵はいなくなります。イコール、あらゆる敵に打ち勝ったと。つまり敵を殲滅したっていうことですね。敵を完全に殲滅、亡きものとしたと。それはもう外の敵と戦ってもしょうがない。自分の怒りの心、あるいは他者への害心と戦わなきゃいけないっていうことだね。これは素晴らしい、美しいところですね。