解説「菩薩の生き方」第十八回(2)

はい、そして、「人生において、大事なのは選択であり、熟考して選択したことに関しては、全力を尽くすべきだ」と。
はい、これはいつも言ってるけども、つまり、まだね、そのような菩薩行に人生を懸けるっていう、そこまでのカルマがまだなかったとしても、つまり一般的な人生においても――つまりカルマヨーガの世界ですね。まずは選択と。つまり君はいったいどういう道を選ぶのかと。どういう人生を選ぶのかと。まずそれはもちろん、熟考して選択しなきゃいけない。もちろん実際には、この選択さえもカルマなんですけどね。ただ一応、自分の意識としては、道を選択すると。で、選択してそれに人生を懸けるって決めたら、もうその瞬間から全力を尽くし、つまり一切の逃げ道をなくし、一切の他の選択肢をなくし、百パーセント、あるいは百二十パーセントの力を込めて、その道に精進しなきゃいけない。で、それは例えば、ここに書いてあるように、例えばスポーツであろうが、芸術であろうが、あるいは社会的な何かの実践であろうが、なんでもそうだね。もっと言えば、いつも言うように、「お金持ちを目指す」とかね。そういうのでも、もちろんそうですよ。もしそれがその人の今生のカルマならば。そこに心がものすごく惹き付けられ、それが自分の今生の道だって思うならば、当然、お金持ちになるために全力で努力すればいい。でも人はそれができないんだね。つまりその途中で、「いやあ、そんなお金持ちになれるわけがない」とかね。あるいは「あんまり欲をかき過ぎてもいけないな」とかね。何か言い訳をしだす。ね。その人の潜在意識は実際にはもう、お金持ちになりたくてしょうがないと。しかし言い訳としていろんなことを言ってその道をちょっとやめたり、あるいはちょっと、なんていうかな、いろんな言い訳をしてる間に、あまり力を注ぐことができず、時間だけが過ぎていくと。これはほかの道もそうですけどね。
そうじゃなくてカルマヨーガとしては、わたしの人生はこの道であると。例えばスポーツもそうですけども、この、例えば野球に人生を懸けるんだ!と思ったら、全力でボロボロになるまでやればいいと。柔道に人生を懸けるんだと思ったら、ボロボロになるまでやればいいと。でも繰り返すけど、そこでいろんな言い訳が入るんだね。例えばこういうこともやっておいた方がいいんじゃないかと。あるいはそこまでやったら、逆にこういう問題も生じるんじゃないかと。いろいろ自分の中で言い訳が生じ、逃げ道が生じ、で、エネルギーが拡散され、そして何一つ達成できず人生が過ぎていく。だから一般的にも、決めた道に全力を尽くすことがいいわけだけど。
しかし、仮にそのような人生に全力を尽くしたとしても、それはカルマヨーガとしては素晴らしいけど、ただ、それそのものは別に、自分にも他者にも特に利益を与えるものではない。まあ自分に関してはそのようなカルマヨーガ的な経験はできるよね。でも例えば野球でスーパースターになったとして、魂の悟りとかみんなの救済とは何も関係がない。みんなの心を励ますことはできるかもしれない。しかしそれも一時的なものでね。もちろんお金持ちになったって、あるいは芸術ですごい賞を取ったって、それは魂の進化や本当の幸福とはなんの関係もないと。
しかし菩薩道、これは違うと。つまりこれほど価値がある道があるだろうかと。で、――もう一回言うよ。つまり、その辺の人が考えたわけじゃない。偉大なる仏陀、お釈迦様をはじめとした仏陀、世尊、そして偉大なる菩薩方が――いいですか?――その辺の人が五分考えたんじゃないよ。あるいはその辺の人が十年考えたのでもないよ。仏陀や菩薩方が、熟考に熟考を重ねたと。これでもかっていうぐらい、大いなる智慧で考えたその結論が、菩提心――他者の幸福のために自分の幸福を犠牲にすると。あるいは他者のために自分の修行を進めるんだと。それだけにこの人生を懸けること、これが価値ある、そして実践すべき生き方なんだと結論付けられた。そしてわれわれも縁があってその道に入り、ある人は熟考し、ある人は直感によって、ある人は縁によって、「よし、わたしも菩薩になりたい」と。もしくは、いつも言うように、バクタとして、神の道具として、そのような神の救済のお手伝いをしたいと。このような思いが湧いた。そしてそこにもし自分の人生を懸けようと思ったならば、それはもう、さっき言った、野球とか芸術とか、ね、お金儲けとかとは比べものにならない、自分と衆生にとって莫大な利益のある道であり、大いなる価値のある道なわけだから、それはもう決して、手を抜くことなく、あるいは諦めることなく、あるいは停滞することなく、全力を尽くして駆け抜けなきゃいけないと。
人生なんていうのは短い。人生なんて短いっていうのはつまり、人間界っていうのは非常に短い。たかだか八十年ぐらいしか生きられない。神の世界っていうのは、ある神は数千年、ある神は数万年、ある神は数十万年生きると。地獄はもっと果てしないぐらい長いと。まあ人間界とか動物界っていうのは非常に時間が短いと。そういうタイムスパンっていうかな、時間のフィーリングで見るならば、たかだか八十年しかないんだと。しかも子供のときっていうのは、よく分からないで遊んでるから。学生時代もよく分かってないから。「よし!」って修行の道に入りだしてからっていうのはもう本当に短いと。ここで全力を尽くさなきゃどうするんだ、という話だね。
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