解説「人々のためのドーハー」第二回(3)
【本文】
慢心という誤りによって、彼には真理が見えない。
そして悪魔のように、彼はすべてを中傷する。
全宇宙は、同じような考えを持つ愚か者たちで騒然としている。
そして誰も自分自身の真の本性を知ることはない。
これは続きですね。つまり慢心、つまりこれはまあ――慢心っていうのはいろんな意味があるんですが、まず「わたし」っていうエゴイズム、これも慢心です。それから「わたしが正しいんだ」っていう慢心ね。これによって――そしてまあ、さっきの続きですけども、ほんとは自分の心のけがれにすぎないのに、慢心によって、つまり自分はけがれていないんだと。自分は正しいんだというその慢心によって、その自分の見えるけがれを相手のせいにする、あるいは世界のせいにするわけですね。
そして、「悪魔のように、彼はすべてを中傷する」と。ね。つまり、「おまえが悪い」と。「おれは悪くはない」というかたちで、世界に批判と――実際にそれを口に出すかどうかは別にしてね。心の中で思ってるだけかもしれないけど、いろんな苦しいことがあったり悪いことがあったりすると、それをすべて他人のせいにする。あるいは世界のせいにすると。自分のけがれだっていうふうに見ないわけだね。
「全宇宙は、同じような考えを持つ愚か者たちで騒然としている」と。分かりますか。つまり、みんな、すべて、この宇宙に生きるものたちが見てる世界はすべて、それぞれの心のあらわれなんだけども、それぞれが他人のせいにしてる。ね。それぞれが他人のせいにして、それぞれが他人を批判し合ってるわけだね。で、騒然としてると。これがこの全宇宙の、悲惨な――ここでいう宇宙っていうのはもちろん輪廻ですけどね。輪廻の中の悲惨な状況なんですよと。
そして、そのようにすべてを自分の心と見ず、他人のせいにしてるから、誰も心の本性を悟ることはないと。ね。だから逆に言うとわれわれは――われわれはっていうか修行者は、しっかりとその逆の道を歩かなきゃいけない。もう一回言うけどもその入口は、小さなところから始めなきゃいけません。小さなところからっていうのは、最初から心の本性とかいうんじゃなくて、まず日々の小さないろんな出来事、あるいは小さな苦しみ、あるいは小さな、人に見える汚れ、けがれ。これは全部自分の心のあらわれなんだっていうことを受け入れるところから始めなきゃいけない。で、それを、相手を変えることによって、あるいは世界を変えること、条件を変えることによってなんとかしようとするんじゃなくて、まずは自分の心を変えましょうと。まずは自分の心を清らかにしましょうっていう発想に立たないといけないんだね。