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2016年マハーシヴァラートリ講話より

2016・03・06

2016年マハーシヴァラートリ講話より

 シヴァというのは、まあいろんな物語を見るとよく出てくるけども、苦行をお喜びになる。ね。よくシヴァに祈りを捧げるときに、まあ、苦行をもって供物とする。で、苦行とは一体なんなのかっていう話があるわけですが、もちろん、なんていうかな、いろんな――イメージ的には、そこでね、例えばあの、片足で何千年も立ち続けたりとか、あるいはひたすら断食をしたりとか、そういうことがイメージ的描写として行なわれるわけですけども、もちろん実際にはそうじゃないよね。
 まあ例えば、苦しめばいいってもんではない。まあ日本人は結構、苦行好きですけどね。滝に打たれたりとか、歩き回ったりとか、ああいう苦行がとても好きですけども――苦しめばいいってもんではない。
 まずその基本的な一つとしては、もちろんこれはヨーガ行です。ヨーガ行っていうのは――そもそもこの、まあ特にハタヨーガとかあるいはクンダリニーヨーガ、あるいはタントラとか呼ばれる、つまりこの皆さんがやってるようなエネルギーのヨーガの技法っていうのはすべて、大いなる過去に、シヴァ神がこの地上に降ろされたとされています。つまり非常にとらえどころがないわれわれの進化の、魂の進化のプロセスを、できるだけスピーディに進められるように、さまざまな技法を降ろしてくださったと。だからそれらの、皆さんがやってるようなヨーガ技法にしっかりと全力で励むと。これは一つの、シヴァへの大変な供養になるね。
 そしてもう一つ、よりその深い意味としては、これは『バガヴァッド・ギーター』とかにもそういう記述があるけども――結局、本当の意味での苦行っていうのは、どんな状況であっても、あるいはどんな時代やカルマ、あるいは環境であっても、自分の理想、あるいは真理の教えを貫くことです。これが最大の苦行になります。で、これは、これだけ言うと、「ああ、なるほど」って考えるかもしれない。うん。つまり、どんな状況であっても真理を貫けばいいんだなと。あるいは自分の理想を貫けばいいんだなと。で、それはそうなんだけども、実際には、この「どんな状況でも」って言っているのは――実際にはね、あの、皆さんの日々の、まあ一見偶然のように生じる、カルマによって生じるいろんな状況がある。で、その中で、もちろんいつも、例えば仕事中も、ね、道場にいるときも、あるいは人と話してるときも、ね、どんなときでも、自分の理想、あるいは真理の教えを念正智して、そこから自分を離さない――これが基礎になるわけだけど、実際には、それ以上のことがやってきます。
 それ以上のことっていうのは、つまりカルマの解放、あるいはシヴァの祝福によって、われわれの隠されているカルマがバーッと露わになると。で、このときこそ、最大のわれわれの戦いの場なんだね。うん。
 で、これは、いつも言うけども、人にはよく分かりません。人にはよく分からないって言ってるのは、これは皆さんも、周りの法友とか見て思うことがあるかもしれないけど、例えば、「あれ、彼はどうしてこれくらいの状況でこんな苦しんでいるんだろう?」と。「なんであの彼は、こんな状況でこんなこともできないんだろう?」と。「わたしだったら、この状況で絶対真理を実践する」とかね(笑)。でもその状況にいる本人は、まあ自分でも分からない。うん。そこで吹き荒れるカルマの嵐、あるいはそこで吹き荒れる心の、なんていうかな、浄化のプロセスっていうのは、もう訳が分からない。もしくはその、大変な、なんていうかな、カルマの拘束の中にいる感じがするんだね。
 でもそのときこそ――だからここは、あまりかっこいい話ではないわけだけど――全く自分では本当に駄目な状態、あるいは苦しい状態になっていようが関係なく、ただただ――まあ基本的には、もちろんただただ修行し続けると。そしてただただ自分の理想、あるいは真理の教えに誠実に従い続けると。うん。これこそが苦行なんだね。
 で、当然、その嵐が――すべては無常だから――嵐もまた過ぎ去るときが来る。そのときには、そこで貫いたものっていうのは、大変なる果報として皆さんに身に付いてる。これがこの、魂の進化のプロセスだね。

 はい。今日はあんまり時間がないんで、もう一つだけ付け加えて言うと、シヴァっていうのは、まあ千の御名があるって言われてるけど、まあつまりそれは言い方を変えると、さまざまな様相があるわけだけど、その中心的な、代表的な名前として「マハーカーラ」ってあるよね。このマハーカーラっていうのは、いわゆる「時間」。ね。時のことです。言い換えれば、これは「時間とは何か?」――それは創造・維持・破壊であると。「ア・ウ・ム」――オームのマントラ、これがマハーカーラであると。あるいは過去・現在・未来であると。この流れ。しかしこれは実際には、すべてマーヤー、魔術に過ぎないんだね。
 本当は、真実の世界には時間っていうのは存在しない。しかしわれわれは、このシヴァの――まあ聖なるっていうかな、魔術によって、この時間っていうそのリーラーの中に取り込まれているわけですね。このようにわれわれを、まあなんていうかな、マーヤーの中に取り込み、そしてリーラーさせてくださっているシヴァをマハーカーラと言います。で、その本質――その現在も過去も未来も超えた本質をマハーシヴァと言います。
 で、この観点から言うならば、われわれはこの、まあお遊びと言ってもいい、あるいは慈悲と言ってもいい、このマハーカーラの「時の魔術」――つまり過去・現在・未来っていうのが、本当は無いんだけどあるように思えると。あるいは創造・維持・破壊っていうもの、この無常のプロセスが本当は無いんだけどあるように見える。これを乗り越え、ね、そこから脱却し、真のマハーシヴァに到達しなきゃいけない。それは簡単なことではない。ね。簡単なことではないが――時間が無いんで簡潔に言うけど――まあこれはね、よく言われるように、一言で言うと、「今この瞬間に集中する」っていうことです。で、それは、よく「今この瞬間に集中する」っていうのは、いろんなところで言われてるけども、あの、もうちょっと現実的なことを言うと、「瞬間瞬間、神に没入する」。そして、「瞬間瞬間、やるべきことに全力でぶち当たる」と。
 で、これは、もちろん同時にです。同時にっていうのは、すべては神の意思であり、神への供物なわけだから、その神への――まあそれはもちろんシヴァでもいいし、皆さんの好きな神でもいいけども――その神に心を没入させ、没頭させ――まあそれは仕事にしろ、修行にしろ、日々のいろんな雑務にしろ、瞬間瞬間、もう本当にもう「この瞬間しかないんだ」と。あるいはまあ、「今日で、この一瞬で人生は終わりなんだ」ぐらいの気持ちで、その瞬間瞬間に、全力で自分の、意志、智慧、愛、そしてすべての精進をそこにぶつけると。これを皆さんが全力で為すならば、このマーヤーの、マハーカーラの時の幻を超えて、真のマハーシヴァに到達するね、道が現われてくる。

 はい。じゃあ今日はちょっと短かったけども、もう一回まとめますよ。われわれの偉大なる、ね、崇拝の対象であるシヴァ。このシヴァへの最大の供物、それは、もちろん日々の修行を全力でやること。そして同時に、どんな状況であろうと、どんなカルマの解放があろうとも、淡々と四の五の言わずに理想を貫き続ける。あるいは教えを貫き続けると。
 そしてもう一つは、このシヴァの一つの相であるマハーカーラの魔術を超え、真のマハーシヴァに到達するためには、過去にとらわれず、未来を慮らず、今この瞬間に全生命を傾けて、そして心のすべてをね、神に没入させつつ、全力で為すべきことを為し続けると。
 はい。これをね、カイラスの今日の、今年のマハーシヴァラートリのメッセージにしましょう。

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