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阿修羅的性質のデメリットと超越

 原始仏典の中で、興味深い記述がある。それは遥かな昔の天界(欲天)の話で、欲天の神々は、さらに高い色天から落ちてきたばかりのころは、心も体も非常に清浄で正しい生き方をしていたが、徐々に堕落し、けがれた行いを為す神々が現れ始めた。
 また、それを徹底的に非難し、批判する神々もいた。

 そしてそのけがれた行いをなした神々も堕落したが、彼らを批判した神々はそれ以上に堕落し、欲天の世界にいられなくなり、阿修羅界に落ちたというのだ。

 阿修羅界とは、日本では地獄の一つのようにも説かれるイメージがあるが、実際には人間界と欲天の間にある、闘争的な天界のことだ。

 阿修羅のカルマというのは実際には複雑で様々なパターンがあるので一概にはいえないが、代表的なものを列挙すると・・・まず批判心が強く、口が悪い。 
 プライド・慢心が強く、自分と周りを比べたがり、小さなことでもいちいち卑屈になったり優越感を抱いたり嫉妬したり闘争したりと忙しい。
 目上の者への屈折した闘争心がある。
 観念が強く、自分の偏った観念に基づいた正義感で他人をジャッジ・断罪・批判する。
 他者を鋭く監視し、他者の過ちをみじんも許さない。しかしそれにより自分も他者にどう見られるかを極度に恐れるようになり、非常に緊張が強くなる。
 論理的思考を好むが、実際には観念が強いために偏った答えしか導かれない。しかし自分のその間違った答えに自信を持ち、固執する。
 不満・批判・闘争心が強いが、たとえその状況が変わっても、また新たな不満・批判・闘争心にさいなまれる。
 偏った観念と他者への屈折した見方により、ひどい妄想狂になる場合もある。
 強いプライドの裏返しとして、基本的に否定的な場合が多い。また、心に思っていなくても否定的な言葉を吐きやすい。そして屈折しやすい。

 さて、地獄から天に至る六道のカルマというのは、誰もがすべて持っている。だからこのような阿修羅的なカルマも多かれ少なかれ皆持ってはいるのだが、特にこの阿修羅的なカルマが強い場合、ヨーガや仏教の修行において、非常に大きなブレーキになってしまう。

 実際、いろいろな修行者を見てきて、素質があったり、それなりに努力もしているのに、なかなか修行が進まない場合、このような阿修羅のカルマが重りとなっている場合が多々あるのだ。

 あるいは、ある程度修行が進んでいても、自分の中の阿修羅のカルマを改善しないことによって、本来もっと進むはずの修行が中途半端な進み方となり、非常にもったいないというパターンもある。

 よって、自分にはこれらの要素があると思う人は、徹底的に阿修羅の要素の浄化・改善に努めるといいと思う。

 阿修羅の要素として一番最初にあげた「口の悪さ」というのも馬鹿にできない。言葉のカルマというのは馬鹿にできないものだ。何気なく発した一言で、相手の心に強烈な傷を負わせることがあるように、何気なく発した悪口やきつい言葉、批判の言葉、あるいは否定的な言葉などが、それを発した本人のカルマに致命的な傷を作ることがある。これも阿修羅的でなかなか修行が進まない人によく見られるパターンだ。

 ところで、これらの阿修羅的性質を浄化・改善するといっても、どのようにすればいいのだろうか?

 一つは、上にあげたような様々な阿修羅的性質の逆を修習することを日々心がけたらいいだろう。

 そしてより積極的な策としては、やはりバクティヨーガと菩薩道の実践がよいと思う。
 なぜならバクティヨーガと菩薩道によって身につくものが、阿修羅的性質とは真逆のものだかりだからだ。
 逆に言えば、阿修羅的性質を超えない限り、なかなかバクティヨーガや菩薩道の真髄には導かれないということだ。

 菩薩道といっても漠然としているが、特に四無量心の実践・習得に励むことが効果的だと思う。もちろん、四無量心を完璧に習得すれば、阿修羅のみならず六道のすべてのカルマを超えることになる。

 四無量心とは、簡単にいえば、以下のような心で自分の心をいっぱいにすることである。

1.慈・・・他者が幸福になってほしいと願う心と実践。
2.悲・・・他者が苦しみから解放されてほしいと願う心と実践。
3.喜・・・他者の幸福・喜びや、進歩などを、心から喜ぶ心。
4.捨・・・自分自身の苦楽に関しては無頓着になり、一切の期待や恐怖を捨てる。

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