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解説「菩薩の生き方」第十九回(5)

 漁夫や農夫やその他の人々は、暑さや寒さや、その他の苦痛に耐えて日々を送っています。しかし彼らがそれらの苦しみに耐えているのは、生活のためです。あるいはそこで得られるお金などのわずかな快楽のためです。
 しかし菩薩は、すべての衆生を救うという大目的のために立ち上がったのですから、普通の人の味わう苦しみはもちろん、その何万倍もの苦しみさえも耐えようというくらいの強い決意が必要なのです。そのような心構えが。

 はい。これもよく出てくる美しいたとえですね。つまりわれわれは修行者であると。あるいは菩薩であると。あるいは神のしもべであるっていう誇りを持たなきゃいけない。で、もちろんそういうベーシックな誇りはあると思うんだね。これはつまり、中身のないプライドじゃ駄目なんだけど、中身のあるプライドはもちろん持たなきゃいけない。つまり、「おれは修行者だ」って中身がなくただ偉ぶるのは駄目なんですけども、「わたしは修行者だからこそ、人一倍苦悩に耐えられるんだ」と。あるいは「嫌なことも人一倍できるんだ」と。こういう誇りは持たなきゃいけない。
 で、その誇りをベースに考えると――これは皆さんもよく思うことがあるかもしれないけど、例えば社会のいろんな状況を見ると、我々修行者以上に、苦悩に耐えたりとか、あるいは頑張ってる人っていっぱいいますよね(笑)。まあ、これはスポーツ選手とかもそうだけど。あるいはスポーツ選手じゃなくても、まあ一般的な、ここに書いてある、つまり漁師、あるいはお百姓さん、あるいはいろんな仕事に従事してる人。つまり、仕事内容によってはほんとに――もちろんここにいる人は、今まで生きてきてね、いろんな仕事やったことあるだろうから当然いろいろ思い当たるでしょうけども、大変な肉体的、精神的苦悩に耐えながら仕事してる人はたくさんいると。あるいはそのような、いろんな訓練をしてる人もたくさんいると。でもわれわれは修行者であると。つまり彼らでもそれくらいの苦悩には耐えてるわけだから、当然われわれは、つまりわれわれは志としては、衆生の苦悩を背負うぞとかね、あるいは自分のエゴは全部明け渡したとかね、あるいは苦楽を超えた境地を目指すとか言ってるわけだから、だったら当然世の人々が耐えてる苦悩ぐらいは耐えられなきゃいけないし、それ以上の苦悩に当然耐えられるくらいの心のキャパシティがなきゃいけないわけだね。まずこの点について反省しなきゃいけない。
 繰り返すけど、われわれは修行者である、菩薩である、バクタであるっていう誇りは持たなきゃいけないわけだけど、それはオッケーなんだけど、でもその誇りどおりの心持ちをちゃんと持ってるのかと。その誇りによって考えるならば、われわれは、日々の小さな苦悩は、そんなものはもう全くものともしないぐらいの心の状態じゃなきゃいけない。あるいはバーッてものすごい苦悩がきたとしても、そんなものは全く問題ありませんねと。あるいは世の人々が耐えてるような苦悩と同じようなものがバーッてやってきたとしても、「ああ、これは世の人々も耐えてる」と。「わたしは菩薩なんだから、その何倍も耐えられるわけだから、こんなものは全くわたしはものともしないんだ」っていうぐらいの心持ちを持たなきゃいけない。
 何度も言ってるけどね、結局われわれがそういう苦悩に耐えられるかどうかっていうのは、やはり心構えで決まるんです。心の強さよりも心構えの方が大事です。もちろんグーッと追い込まれたときは強さとか関係してくるけど、最初はやはり心構えだね。つまり自分の中にどうセッティングしてるかっていうことです。自分の中で、「おれは絶対苦しみたくないんだ」とかセッティングしてると、もちろんすぐ駄目になっちゃうよね。じゃなくて、「おれは菩薩だから人の何倍も耐えて当たり前だ!」って思ってたら、結構耐えられちゃうと。だからまずその意識を持つべきであると。
 はい、そして次に、一般の人々も多くの苦悩に耐えながら日々生活を送ってるわけだけど、でも彼らがそれに耐えて得るものっていうのは、日々の給料だったり、あるいは日々の――例えばスポーツとかの場合は、それで得られる名誉だったりするわけだね。あるいは達成感とかあるかもしれない。それはそれでもちろん、この世俗の意味においては素晴らしいっていうか必要なことだけども、でもわれわれが目指してるのはそういう無常なものではないと。最終的には一切衆生の幸福、あるいはもちろん自分の完全なる覚醒、そして衆生も覚醒させると。あるいは愛する主の完全なしもべとして、純粋な道具として働くと。そのような多くの、大いなる目的、大いなる狙いがあるわけですね。
 だからそれは――繰り返すよ――一般の人は現世的な、一時的な無常なる目的のために、ふと見ると、一見修行者よりも大変な苦悩とぶち当たってたり、あるいは修行者よりも努力してたりするかもしれない。これもよく言うけどさ、例えばさっきから言ってるスポーツ選手とかね、すごい努力してる人、もちろんいっぱいいますよね。うん。あるいはもちろん例えば商売とかにおいても、ほんとに寝る間を惜しんでこの商売を成功させるんだって頑張ってる人もたくさんいると。それ以上の努力をわれわれはしてるんだろうかと考えなきゃいけない。それ以上の努力をしなきゃいけない。だってわれわれが達成しようと思ってることは、例えばオリンピックで金メダルを獲るよりも大変なことです。われわれが仏陀になるってことはね。当たり前でしょ(笑)。仏陀になることは、金メダル獲ることと、もう比較にならないほど大変なことです。大変なことだったら当然それに見合う努力をしなきゃいけないよね。まずその心構えが必要であると。その心構えがあったら、すべては心ですから、一見大変な壁に見えること、乗り越えられそうにないように見えることでも、それと戦う勇気が出てくる。あるいは苦悩に対しても、それを「どんと来い」と受け入れる勇気も出てくる、ということだね。

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