解説「菩薩の生き方」第十一回(5)
はい、この「頭に火がついた男」の話もよく出す例えですね、お釈迦様の例えね。つまり、頭にもし火がついてたとしたら、卑屈にはなれない。「どうせおれはこんな運命だったんだ」と、ボーッとしてるとか(笑)、そんな人普通いないよね。普通は、ちょっとニヒルな人でもね、「人生なんて。いつ死んだっていいんだ」とか言ってる人も、もし頭に火がついたら、「やべえ!」ってなりますよね。あるいは、「修行しなさい、勉強しなさい」とか言われて、「いや、おれはゲームに夢中なんだ」とか言ってる人でも、頭に火がついたらほっぽり出しますよね。うわー!って。つまりもう、何をさておいてもやると。でもこれは、頭に火がついたっていうこの最悪の状況を、われわれが「それは最悪である」と。もうここですべての精力を使って消さないと命が危ないっていうことを理解してるからやってるわけであって。でもわれわれは、理解してないだけで、今、同じ環境にあります。つまり火がついてます。これを放っといたら地獄落ちますよと。あるいは悲惨な来世が待ってますよと。あるいは聖なる素晴らしい縁が切れるかもしれませんよと。これをしっかりと真剣に考えなきゃいけない。
はい。で、最後の言葉は、とても美しいというか、素晴らしい言葉ね。これはまあ、いわゆる――『虹の階梯』っていうのは、皆さんも知ってるように、もともとはパトゥル・リンポチェ系の教え。で、このパトゥル・リンポチェ自体がシャーンティデーヴァの生まれ変わりといわれてるので、実際は同じ系統の教えなんだね。で、その教えとして、「さあ、今すぐにここから発って修行に出かけなさい」と。つまり、ある弟子が修行の教えを学びましたと。「さあ、あなたは、やり方を学んだから、今すぐもう行け」と。もう今、この瞬間スタート。競争スタート。それは、ここに書いてあるように、つまりあなたは、過去にいろんな悪業を積んできたと。そして今、多くのけがれを持ってると。で、ここまで死んだらもうまずいと。でも今、このね――まあ、この教えはニンマ派の教えなんで、ゾクチェンと呼ばれる最高の教えを受けたと。そのゾクチェンを達成しさえすれば、もう仏陀の境地、あるいは仏陀までいかなくても悟りの境地に至り、すべてのカルマから解放されると。で、その、なんていうかな、キー。頑張れば何とかなるかもしれないキーはもらったと。しかし、死は迫ってると。この死の迫りと、自分が修行を達成するかの競争がもう始まったんだと。
で、この競争は、皆さんわかると思うけども、相手が見えません。つまり相手が今どこまで行ってるかわからない。だから高をくくって七十ぐらいで死ぬかなと思ってたら、明日死ぬかもしれない。ね。だから本当にこれは熾烈な競争。だから本当に相手の状況に対して高をくくってはいけない。だから逆に「もう明日死ぬかもしれないんだ」っていうその強い思いによって――まあ、明日死ぬかもしれないんだったら今日中に達成しなきゃいけなくなるから、そのような思いで、全力で修行すると。この気持ちが大事だっていうことですね。
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