解説「菩薩の生き方」第六回(7)
【本文】
要約して言えば、二種類の菩提心を識別すべきである。
それは、菩提を願う心と、菩提への前進とである。
行こうと願う人と、行く人の間に区別が認められるように、知者はこの両者の区別を順次に知るべきである。
菩提を願う心だけでも、輪廻界において大果をもたらす。しかしそれには、前進の心を持つ人のような、不断の福善は生じない。
無辺の衆生界を救おうと、不退転の心でこの菩提心を受持すれば、そのときから、
眠りを好み、たびたび放心の起こる人にすら、大空に等しい不断の福善の流れが生ずる。
小乗を信解する衆生のために、如来自ら「善臂(ぜんひ)問(もん)経(きょう)」に、これを、証拠を挙げて説かれた。
【解説】
菩提心には二つあるということです。
菩提心とは、もう一度復習すると、「衆生を救うために、私は完全な覚醒を得よう」という勇猛な心です。
そのような概念を聞き、あるいはそのような菩薩の話を読み、それにあこがれ、私もいつかそのようになりたいものだ、いつかそのような道を歩きたいものだ、と願うのが、第一番目の、「菩提を願う心」です。
そして単なる憧れではなく、「よし、私は菩薩の道を歩くぞ」と決心し、具体的にその努力を始めたなら、それは「菩提への前進の心」を持ったことになります。
たとえば、「プロ野球選手になりたいな」という憧れを持つ少年は多くいるでしょう。
しかしこの少年がその憧れを明確な目標に変え、必ずプロ野球選手になろうと決意し、何らかの努力を始めたなら、これが前進の心なのです。
この前進の心においては、現在の修行ステージの高い低いは関係ありません。
本文にも書かれているように、眠りを好む怠け者でも、このような決心をしたときから、不断の福善の流れが生ずるというのです。
「衆生を救うために、私は完全な覚醒を得よう」
この決心を、ぜひ多くの人に持ってほしいと思います。
それはあなた自身にとって最高の幸福をもたらす道であると同時に、あなたと縁のある多くの人々に、光と至福と救いをもたらす、奇跡の絆であるといえます。
それができるのは、あなたの周りで、あなただけかもしれない。ぜひ前進の菩提心を持ってください。
数え切れない衆生を救うために、私は完全な覚醒を得るのだ、何があっても諦めないぞ、という不退転の菩提心を持ってください。
実際、その道は、多くの失敗と挫折を伴うでしょう。しかし何度挫折しても、すぐにまた立ち上がり、どんなにボロボロでかっこ悪い状態であろうとも、歩き続ける決心をしてください。それを不退転の心といいます。
はい。これもまあ、素晴らしい解説なので(笑)、
(一同笑)
あまりこれ以上に言うことはないんだけど。
この「二つの菩提心」っていうのは、いろんな大乗の経典に書いてある。つまり、ここの言い方だと、「菩提を願う心と、菩提への前進」ね。これは言葉を変えていろんなかたちで、例えば『安らぎを見つけるための三部作』とか、いろんなところに出てくるね。ただその深い意味っていうのはなかなか解説されてないんだけども。だからそういう意味では、ここの解説はとてもわかりやすいと思うね。
プロ野球選手の例えで言うと、例えば小学生がいて、「プロ野球選手になりたんです!」っていう人はいっぱいいると。まあ、わたしも小学生のころプロ野球選手になりたかったんだけど。で、例えば二人の子供がいるとして、一人の子は「プロ野球選手になりたいんです!」――で、何してるかっていうと、昔の小学校のわたしみたいに、もう毎日友達と遊んで、全然野球のやの字もやってないと。ただゲームをやったり山を駆け回ったりしてるだけだと。で、「将来の夢は?」って聞かれたら「プロ野球選手になりたい!」(笑)。でもこれは、なりたいっていう強い希望があるとしたら、これがここでいうところの、「菩提を願う心」ね。まあ誓願の菩提心っていうやつですね。
で、もう一つはそうじゃなくて、あなた将来の夢は?って聞いたときに、「プロ野球選手になりたいんです」と。で、その子は何やってるかっていうと、例えばリトルリーグに入ってると。ね。リトルリーグに入っていて、中学でしっかりと野球部に入り、日々、例えば憧れるプロ野球選手の真似をして、いろんなトレーニングに励み、食べ物にも気を付け、で、高校はどこに入るとかもう狙ってるとかね。これがだから前進の菩提心。
でも、この二つは表面上は実はあまり――例えばじゃあ前者ね。もう一回言うよ。思ってるだけの菩提心に例えられる少年がいたとして、で、この少年も実は中学校で野球部に入ってるかもしれない。つまり、見た目だけを言うとあまり変わらない。言うことも「プロ野球選手になりたいんです」って言っている。でも前者は、なんとなく部活に入らないといけないから野球部に入っていて、で、野球好きだから野球していて。でも単なる希望的観測として、なんか普通に野球していて、将来プロ野球選手になれたらいいなって思ってる。で、後者はそうじゃなくて、完全にヴィジョンを描いてる。で、そのためにやるべきことはなんだっていうのをちゃんと考えてやってる。これが前進の菩提心っていうやつなんだね。
つまりこれは、表面的には野球選手になりたいとか、あるいはわたしは衆生を救いたいっていう同じことを言うんだけど、実際には相当開きがある。これはだからさっき言った話と同じなんだけど、つまり単純に、「ああ、菩薩になりたいな、みんな幸せであったらいいな」ではなくて、もう本気で考えてると。本気で考えることによって、当然現実的にやることは決まってくる。例えばプロ野球選手の場合は――例えばだけどね、中学生だとしたら、現実的にいろんなトレーニングをして、で、そして、やっぱりプロ野球選手になるとしたら、高校でかなり実績を残さないといけないなと。だから例えばしっかりと野球が強い高校を目指すと。で、そのためには例えば、中学で頑張って推薦されなきゃいけないとか、いろいろ考えると。で、中学でできるだけの体作りとか、あるいは技術のために励んで、高校でのまずブレイクを目指す、とかね。いろいろ考えるかもしれない。ほんとに本気だったらね。で、それと同じことが、この修行っていうか菩薩道にも言えるわけですね。
もう一回言うけども、最初に、菩薩心のなんたるか、菩提心の素晴らしさを理解できないっていう段階がまずある。これはしょうがないね。じゃなくてカルマが熟されて、理解できると。だから皆さんみたいに――ああ、ほんとに菩薩の道は素晴らしいなと。やっぱり慈悲の世界って素晴らしいと。このような思いが湧くと。で、わたしもそうなりたいと。わたしもやっぱり菩薩の道を歩きたいんだと。菩薩になりたい!――こう思う人っていっぱいいると思うんだね。これはこれで素晴らしい。これだけでも素晴らしい。ここに書いてあるように「輪廻界において大果をもたらす」って書いてある。つまり皆さんが、ちょっとさっきの話みたいな、ほんとの意味での決意、覚悟とかまでいかなくても、ほんとにまだ弱いけども、みんなの苦しみを救える人になりたいな、菩薩になりたいなって思っただけでも、この世において多くのメリットがあるんだって言ってる。しかし、それが前進の菩提心、つまりさっき言った覚悟っていう世界ですけど、ほんとの意味での覚悟を決め、本気でそれを求めだし、そのために生きるっていうその生き方が確定されたならば、それがもたらす不断の、つまり不退転の、減ることのない、そのメリットっていうかな、それはもう計り知れないんだと。
はい。だからこれはまあ、結局言ってることはさっきから同じことですけどね。――もう一回言うけども、つまりプロ野球選手になりたい少年の例えに例えられるように、現実に本当にわたしはみんなを救いたいんだと。今生、時間がないぞと。今生例えば、自分が生きられる時間はあと何十年あるかわからない。もちろん明日死ぬかもしれないしね。明日死ななかったとしても、マックスでも何十年生きるかわからない。――で、もちろんわれわれがもし今生怠けたらね、怠けたら、今生その誓願を達成できないどころか、来世も真理に巡り合えるかわからない。だからこれは本当にもう、なんていうかな、何度も言うけども、出合うまではしょうがないけども、出合ってからは、もうほんとに勝負です。
『虹の階梯』という本で、すごく印象的な言葉があるよね。グルが弟子に、いろんな加行をバーッて教えて、その加行があらかた伝授されたあとに、「さあ、もう教え終わった」と。「この修行をしっかりと達成しろ」と。「さあ、今から、今すぐに」――つまり、終わったから、「終わった。じゃあ今日はちょっとおいしいものでも食べて明日から修行しようか」じゃなくて(笑)、さあ、教え終わったと。「さあ、今すぐにここから立って、行け」と。「この修行を達成しろ」と。「今この瞬間から、おまえがこの偉大な道を達成して悟りを得るか、あるいはそれよりも早く死神――つまり死がやって来て、おまえと真理との縁を断ってしまうか、この熾烈な競争が始まった」と。「さあ、今から行け!」と。こういう感じだね。だからやっぱりこれだけの厳しい心を持たなきゃいけない。
われわれは、今生真理、そして真理の中でもほんとに極上の、バクティや菩薩道に巡り合ったと。しかしわれわれはまだそれを自分のものにしていない。だからこれを自分のものに今生できるのか、あるいはその前に、自分がその菩提心やバクティをある程度達成する前に、死にやられてしまうのか。もちろんそれもいろんな段階があるよね。さっき言ったように、ある程度でも達成できてたらいいけど、ほとんどもう全然駄目で、なんていうかな、ウダウダウダウダしてるうちに死が来てしまったら、来世またこういう道と巡り合えるかどうかさえも危うくなってしまう。よって、それを真剣に考えて、一瞬一瞬、あるいは一日一日、決して無駄にせずに、この菩提心を――何度も言うけども、現実的に、その菩提心の達成のための、あるいは人を救える神の道具となれる自分につくり変えるための、現実的な努力をしようっていう気持ちね。
はい、これがさっきからずっと続いてる話ですけども、それができたならば、それこそが前進の菩提心であり、そしてそれによって初めて、皆さんが過去に積んできたさまざまな悪や心のけがれもたちまちにして浄化されていくんだっていう話ですね。
-
前の記事
解説「王のための四十のドーハー」第四回(5) -
次の記事
解説「王のための四十のドーハー」第四回(6)