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解説「菩薩の生き方」第五回(9)

◎菩提心という霊薬

 霊薬という言葉が出てきますが、これは錬金術と関係があります。錬金術において、ある金属に、その薬をふりかけることによって全く別の金属に変えてしまう――そういうイメージですね。つまり煩悩に満ち、苦しみに満ちた哀れな生き物の身体や心に、この菩提心という霊薬をふりかけるだけで、たちまち偉大なすばらしい身体や心に変身してしまうんだということです。

 はい。これは書いてあるとおりですけどね。まあ錬金術っていうのは、昔、東洋にも西洋にもあって、まあ、その調合された薬によって、価値の無い鉄とか鉛とかそういうものが黄金に変わってしまうみたいな。ただこれはもちろんただの例えですけどね。そういうイメージで、さっき言ったように、徐々にではなくて、瞬間的に、価値の無いものが、もう大いなる価値あるものに変わってしまうと。その素晴らしい霊薬、きっかけとなるのが菩提心なんだっていうことだね。

◎絶対に手放すな

 そしてそれは我々においてもそうなんです。過去のブッダや菩薩がそうだったように、我々も、この菩提心を学び、考え、実践し、心の中で育てていくならば、どんなに悪業多く、どんなに心がけがれ、どんなに苦しみに満ちた哀れな人でも、この菩提心の力によって、大変速やかに、たちまちして、偉大なる「ブッダの子」、すなわち「菩薩」と呼ばれ、人や神々にあがめられるようになるんだということですね。

 これは大げさではなく、本当のことだと思います。まあ、人間は無智なので、人間は別としても、菩提心を心に強く保つならば――まあ、まずは最低限、菩提心の意味を知り、その偉大さにあこがれ、自分も菩提心を持とうと決心するだけでも、まず神々に賞賛されるでしょうね。人間よりも智慧のある神々は、その偉大さを知っているからです。神々は、もちろん、お金があるとか、権力があるとか、単に性格が良いとか、顔が良いとか、そんなものは賞賛しません。徳があるとか、煩悩が少ないとか、悟りがあるとか、そういうことを賞賛するわけですね。そして最も賞賛されるのが、「菩提心がある」ということなのです。

 だから、このように、さまざまなメリットがある菩提心という宝物を、決して捨ててはならないよ、絶対に、何よりも、お金よりも権力よりも、何よりも堅固に保ち、絶対に手放すな、ということですね。

 はい。まあ、これも書いてあるとおりですが、いつも言うように、実際に、われわれがね、知覚できないだけであって、実際に神々っていうのは――あるいは神々にもいろんなパターンがあるけども、まあ、いわゆる神々、あるいは菩薩、あるいは霊的な世界にいらっしゃる修行者、あるいはそうですね、皆さんの過去、過去世において縁のある、霊的な、あるいはまあ、素晴らしい魂。こういった者たちっていうのは、皆さんを見てる。そして見ていて、で、より高い価値観によって――つまりここに書いてあるように、聖なる価値観によって、皆さんの生き方を喜んだり悲しんだりするわけですね。そういった神々や聖なる魂っていうのは当然、この世的な価値観は関係ないから。例えば受験に受かったとかね、あるいは何かで一等賞になったとか、そういうのは別にどうでもいいっていうか。あるいは皆さんがこの世の常識内での何か失敗をしたとか、そんなものも別にどうでもいいっていうか。そうじゃなくて、その人の心が悟りに向かうとか、あるいはエゴの滅却に向かうとか、そうなるとみんな、もう心から喜ぶわけですね、神々っていうのは。で、その中でも最も最高なのが菩提心だと。
 つまりこれはさっきから言ってるように、それを得るのがとても難しいからなんだね。うん。この一つの魂がいて、この一つの魂が、みんなのために生きようと。みんなのために修行しようと。みんなのためにどんな苦しい修行でも耐えようっていう決心をする者が現われるっていうことが、稀に見ることなんです。だからそういう者が現われたりしたら、神々や霊的存在はもう大拍手です。いつも言うように。お花パーです(笑)。ね。もう大拍手で楽器が鳴って――もうこれさ、ほんとにね、大げさじゃないんですよ。よくそういう表現があるけども。それはほんとに、大聖者ばかりの話ではなくてね。例えば一人の人がいてね。まあ例えばそれはY君だってそうです。Y君がいて、ハッとして、「昨日までおれは自分のために生きてきたけど、今日からは菩薩として生きよう」――その段階でまだ全然煩悩はいっぱいあると。けがれもいっぱいあると。カルマが悪いと。それでもかまわない。そういう決心をした段階で、もう神々お花パーです。あるいは、もう楽器が演奏されます。神々の演奏隊がやって来てね。「ジャーンジャジャジャーンジャーン」――いろんな音楽が、天の太鼓とか、天の楽器がいっぱい鳴ると。「パーン……すべて~捨てて~」って神々が歌うかもしれない(笑)。

(一同笑)

 ね。そういうことなんですね。で、もちろんこれはさっきの言い方からすると、菩提心は最高だって言い方したけども、当然それは、さっき言ったバクティの道もそうですよ。ある人がハッと気付いて、「そうだ」と。「神しかいないじゃん」と。「わたしの人生すべて神に捧げよう」と。「神のしもべになろう」と。ね。まあ、細かくはいろいろあるでしょうけどね。で、そのようなことを思い立ったときも、みんな大拍手でしょうね。「ついにこういう魂が現われた」と。「ほんとに素晴らしいことだ」と。「彼はほんとに成し難き誓いを成した」と。「素晴らしい!」っていうふうに称賛してくれます。
 で、もちろん逆もありますよ。つまり例えば、皆さんみたいにせっかく偉大な菩薩道やバクティと巡り合ったのに、くだらない怒りや、煩悩や、いろんなものに心支配されウダウダしてると、神々はしゅんとします。ちょっとこう、悲しくなるっていうか。「ああ、彼はほんとにわかってないな」と。「せっかく素晴らしいヒントをつかんだのに、なんで時間を無駄にしてるんだ」と、ちょっとショボンとします。だから、神々のためにっていうのも変なんだけども、でもこれも一つのわれわれの心を鼓舞させる要因にはなるね。
 わたしは――性格にもよるだろうけど、わたしは結構そういう性格だったから。つまり、なんていうかな、神々を喜ばせたいと(笑)。あるいはわたしを見守ってくださってるさまざまな霊的存在も、がっかりさせたくない、という気持ちですね。そういう気持ちも自分の糧にして頑張るっていうかな。だからこれも一つの、まあ、これも補助ですけどね。そのためだけに頑張るわけじゃないけども、そういう現実があるんだってまず知って、神々の価値観――つまりわれわれは今生入れてしまったさまざまなくだらない価値観が頭にいっぱい入ってるから、たまにそっちに流れてしまいそうになる。でもそうじゃないんだと。この世において誰もわかってくれなかったとしても、神々はわかってくれてると。あるいは菩薩方はわかってくれてると。よって、なんていうかな、そのような、目に見えないけども神々や菩薩方が喜んでくれる道を歩こう、という感じで、これも自分を励ます、あるいは自分を鼓舞する一つの材料として使ったらいいですね。
 はい。じゃあ一応きりがいいところなのでここでいったん終わって、じゃあ最後に質問があったら質問を聞いて終わりにしましょう。はい、何か質問その他ある人いますか? 

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