解説「菩薩の生き方」第二十九回(4)

はい、そして、次が面白い感じですけども、鷺、猫、盗賊っていうのが挙げられているけれども、鷺に関しては――鷺ってよく鴨川とかにいるやつかな? あれはつまり魚を捕るのか。魚を捕るために、そーっとしているのかな? そーっとこう片足で立ったりしてて、で、瞬間を見逃さずにパッと魚を捕ると。猫はまさにそーっと来ますよね。そーっとそーっと、特にネズミを狙ったりするときはそーっと行くのかもしれない。そーっと来ますよね、猫って(笑)。「あれ? いたの?」みたいな。そういう習性があると。
はい、で、同じように盗賊。まあ盗賊、当たり前ですが盗賊っていうのは泥棒ね。泥棒は当然捕まらないように、そーっとそーっと。例えば誰かそこに寝てたとしたら、もう絶対に起きないように、もう抜き足差し足って感じでそーっと歩くと。
はい、で、そのように、「目立たぬように行動して、目的を達成する。修行者も常にそのように行動せよ」と。つまりそのように目的を達成しなさいと。
これは、そうですね、二つ意味があると思いますね。二つっていうのは、一つは表面的な意味。表面的な意味っていうのは、ここに書いてないけど、つまりそこまでする必要は実際はないんだけど、さっきの茶道家とか華道家とかとちょっと似てるけどね、うん。そこまではしなくていいんだけど、でも気持ちとしては、そういう気持ちは持っておいた方がいい。何を言いたいかっていうと、つまりさっき言った、荒々しい行動を避けなさいと。静かに、騒々しさを好まぬ者であれと。このイメージね。だからインド人は、繰り返すけど、ラジャスだからさ、逆に言うとこれくらい言ってちょうどいいのかもしれない。ちょうどよかったのかもしれない。つまり歩くときもダンダンダンって歩くんじゃなくて――まあ、わざとこう足音がしないように、泥棒みたいに歩く必要はないけども、でも本当に――あのさ、そうだな、皆さんが本当に気道が通ってエネルギーが上がってくると、結構そういう歩き方になります。そういう歩き方っていうのは、軽く歩くんですね。うん。ちょっとこう上に気が上がっている感じになるから、あまりドンドンってはならない。軽くスッスッスッって歩くようになる。わたしも疲れてたり気が下がってたりするとダン、ダンってなるけど、そうじゃないときはこうスッスッていくと。まあ歩き方だけじゃなくていろんな行動において、あまり、荒っぽさがないだけじゃなくて、本当に気付かれないように、ぐらいの気持ちでね、一つ一つの行動を行なうと。これ表面的な意味ね。つまり実際的に動きとしてそうやりなさいと。
で、もうちょっと内面的な意味がここに書いてあることで、つまり「目立たぬように行動しろ」っていう意味が、実際に猫みたいに歩けって意味じゃなくてね、まあそれは表面的な意味としてあるんだけど、もうちょっと内面的な意味として、猫とか鷺とか泥棒が、決して相手に気付かれぬように目的を達成するように、菩薩もそうしなさいと。つまりアピールするなと。あるいは、なんというかな、そうだね、いわゆる陰徳ってやつですけど。陰徳ね。
もちろんこれもさ、いつも言うけども、こだわる必要はないよ。うん。あまりこだわりが強くなり過ぎると、またそこはちょっと変な感じになっちゃう。「絶対これはばれてはいけない!」みたいな感じでね。そこまでこだわる必要はない。別に自然に自分のやっていることがみんなに知れて、それをみんなが称賛しましたと。それはそれでなんの問題もないっていうか、自然な動きだから。でも自分の中でそれをアピールしたい気持ちであるとか、あるいは必要以上に派手にやるとか、そういうのがあるとしたら、それはプライドであったり称賛欲求であったり、そういうのが入っているかもしれない。だから菩薩は、ここで言っている菩薩のイメージはまさに、秘密任務を帯びた、忍者とか、そういう――CIAとか(笑)、から派遣された者のように、普通の人を装いつつ目的を達成すると。
目的にはいろんなものがあるよね。これは例えば、いろんなものがあるから、まさにケースバイケースだから、一例として挙げるよ。一例として挙げるとしたら、じゃあ例えばですよ、これ、法友同士でもいいし、あるいは皆さんが働いている職場でもいいけども、嫌悪に満ちていると。ぎくしゃくしていると。さあ、ここでミッションが発動すると。彼らを愛によって、愛の空間にせよ。いや、それは相当なミッションだと。まあそこまでいかなくても、愛の空間までいかなくても、和ませろと。ここでストレートなやり方を取った場合――ストレートというか、そうだな、ストレートなやり方だった場合、正面から言う人がいるかもしれない。「はい、はい、はい! 殺伐としてますよ!」
(一同笑)
「もっと和みましょう!」――これ、成功する可能性もあるけど、失敗する可能性もある(笑)。
(一同笑)
「おまえが言うな!」とか言われて(笑)。だからここで菩薩のミッションとしては、よく言う「でくのぼう」みたいな感じね。自分がどう思われるかはもうなんの問題もない。どうなってもかまわない。それは全く問題がない。結果優先です。そのためには、自分がなんか言うんじゃなくて、自分があるときは馬鹿な役をするかもしれない。しなきゃいけないかもしれない。だからそこに――まあ、これは一例ですよ、あくまでも。例えばそこに自分が入っていって、みんなを和ますみたいな目的は隠した状態でね、自分の存在によって、発言によって、あるいは――まあ、こういうのって実際に皆さんあると思うんだよね、例えば。小さな意味ではね。小さな意味っていうのは、会話の中で殺伐とした会話に入っていって、例えば自分に振られたときとかね。ちょっと、変な話、ちょっと鈍感なふりをしたり、あるいはトンチンカンな答えをわざとしたりして、逆にみんなの話の方向性を逆の方に持っていくとかね。いろいろありますよね。そういうのをやりながら、でもその意図は誰にもばれてはいけない(笑)。まあ別にばれてもいいんだけど、でも意識的にはそのそういう感じでね。バレてはいけないと。で、これによって――その人はみんなから馬鹿にされるかもしれない。「おまえには敵わないね」と、「おまえほんと馬鹿だな」と。「でもおまえのせいでなんかみんな和んだよ」と。「わっはっは!」となるかもしれない。でもそれは実は彼は意図的にやっていたかもしれない。
これは、何度も言うけどあくまで一例です。別にそれをやれって言っているんじゃなくて。つまりいろんな場面において、そのように菩薩は――自分がどう思われるかはどうでもいい。とにかく理想的な状態をつくり出すミッションを行なうと。
さっきから言っているように、その意味でも、愛情欲求とか、あるいはアピールする気持ちがあってはもちろん駄目なんだね。いつも環境に文句を言ったりとか、あるいはいつも不平不満ばっかり言っている。あるいはいつも、自分が認められないことに不満であると。こんなの菩薩じゃないよね。そういった類いのことはもう一切どうでもいいと。繰り返すけど、結果がすべてである。実際に自分の存在によって、みんなが――もちろんいきなり悟るってのは無理だとして、ちょっとでも、ちょっとでもいい状態になってほしいんだと。そのために自分ができることはなんなんだろうか、ということだね。
これも一つの心構えです。心構えって言ってるのは、繰り返すけど、どんなときもそのように、なんというかな、泥棒とか猫みたいになんなきゃいけないとか、あるいは自分の意図が誰にもばれてはいけないとかってことではなくてね。でもベーシックな心構えとしてはそういう発想、そういう意識っていうのが、ここでは、皆さんにインプットされるデータとして書いてあるんだね。それはそれでしっかり皆さんも学んで。
いつも言うけど、この間、合宿のでの食事のときの――あのとき誰がいたかな? RさんとかMさんとかいたときに話したような気がするけどさ、修行の面白さって、これ、いつも言うけど、料理に似ててね。料理ね。つまり料理っていうのは、素材があると。例えばこれこれこれの野菜があって、ここにはこういう魚も入れましょうと。あるいは肉も入れましょうかと。あるいは肉は入れない場合もある。あるいはそこにパスタを入れる場合もあるし、パスタじゃなくて米を入れる場合もあると。それぞれありますね。はい、じゃあ、それにどういうスパイスを使いますかと。油はどうしますかと。その配合、割合はどうしますかと。それによって、仮に何人かの料理家がいたとして、その使う材料とかスパイス、油等がかぶっていたとしても――もちろんかぶりますよね。「あなたもエビ使いましたか?」と。「わたしもエビ使いますよ」と。「あなたもターメリック使うんですか?」と。「わたしもターメリック結構使うんです」とか。かぶってるけど、じゃあ他には他の人が使っていない何かを使うのか、あるいはその割合はどうかによって、当然、できるものが全然違ってきたりする。
だから修行も同じ。まずベーシックな、皆さんが持っている、個性というかな、もともとのカルマの方向性、あるいは過去世からの修行の方向性みたいなものがまず一つあって。で、例えばカイラスだったらカイラスで、当然一つの、グルとかあるいはその体系についたら、もちろん加行とかもらう場合、個々の加行で結構違うのもあったりするけど、でも重要な部分は結構みんな同じのをやりますよね。でもやっぱりそれぞれの、なんというか、性格とかカルマとかによってさ、その気はなかったとしても、あるいは意図的な場合もあるけども、その気はなかったとしても、力の入れ具合は結構違ったりするよね。例えば「おれは教学が大好きだ」と。だからすごく喜んで教学をすると。で、「ムドラー大っ嫌い」とか言って、一応加行でやるけど、もう全然力入れていない(笑)。一応時間どおりやってるけど、全然力入っていない(笑)。あるいは同じ教学をしたとしても、まあ人によるけどね、おれは原始仏典系大好きだと。だから原始仏典の教学を貪るように読むと。でもヨーガ系のはちょっとあまりピンとこないなと。ヨーガ系とか、『ラージャヨーガ』の本とか、なんか適当に読んだりして。その気はないんだけど、やっぱ心が乗らなかったりする。そういったことの積み重ねで、ちょっとそれぞれの特徴とかが出てくるわけだね。で、できあがるものは違うわけです。その人が例えば十年後、二十年後、はい、どういう修行者になっていましたかと。つまりどういう料理が完成しましたかと。これは面白いよね。
で、だから、エッセンスは、もちろんいらないものは入れる必要はないけども、いるもの、つまりカイラスで提供しているものでも、細かく言ったらいろいろあります。で、それの――今言いたかったのは、その細かいもの、今言ったこの、「菩薩は猫のように、鷺のように、泥棒のように、気付かれぬように行動して目的を果たせ。」――このエッセンスは、これでちゃんと学んでパッと入れてください。でも心配しないでも、これだけになるはずはないよね。意味分かるよね? つまり、「あなたマグロ使うんですか?」――でもそれだけじゃないよね。あるいはあなた――マグロじゃあれだからさ、じゃあ調味料にするとね、「あなた、ターメリック使うんですか」と。でも一〇〇%ターメリックじゃないから、そのできてきたものがターメリック味になるとは限らない。ほかの調味料や材料との組み合わせによって、総合的に素晴らしいものができればいいと。だからこれも心配しないでも、この教え今日学んだからって、全員がさ、十年後とかにそろーりそろーり歩いて、もう自分の意図を隠して(笑)、それだけの人になるわけじゃないよね。つまりいろんな教えが皆さんの中で料理されて、その総合として理想的な修行者になっていくと。
はい。だからそのスパイスの、あるいは素材の一つとして、この教えは学んどいたらいい。だってほかの、例えば教え、あるいはほかの聖者の生き方とかはまた別のパターンのもあったりするから。それでさっきも言ったように、その人のカルマであったり使命であったり、あるいはもともとの性向であったりによって、実際に、どの教えとかどの生き方に惹かれるかとかもまた違ってくるだろうから。ただこういった素材的なものはしっかりと心にインプットしておいて、で、それが、なんというかな、皆さんの――言ってみれば間違った方向に皆さんが行かないように、いろんなかたちでこの教えとか修行のエッセンスが皆さんを導いてくれるんだね。
だから密教の戒律とかであったと思うけどさ、決して教えを見くびったりおろそかにしてはいけないと。もちろん受けていない教えとかはどうでもいいですよ。じゃなくてグルから受けたとか、あるいはこうやって勉強会で学んだ一つの教えを見くびってはいけない。その一つ一つにも実は深淵な意味が込められていて、で、それが――つまり、今料理で言ったけど、料理じゃなくて、例えば機械で言ったらさ、パーツとして絶対必要だったりする。パーツね。このネジはどうでもいいような気がするけど、それがなかったら成り立たない。
ちょっと忘れちゃったけど、昔さ――昔って本当に昔ね。一番最初、カイラスが生麦にあったころに熱心に通ってて、その後自分でヨーガの教室を開いた昔の生徒さんがいたんだけど、その人ってそのころ、なんていうか、ちょっと社会があまり景気が良くない時代だったんだけど、その人のいる会社は、関係なくすごく儲かってたみたいで。で、ちょっと詳しくは忘れちゃったけど、とにかく、その人の年齢とかにしたら相当いい給料が出てて、会社も全然不況に遭わないと。いったいどういう会社なんだって思ったら、パソコンの、ちょっと詳しくは忘れちゃったんだけど、とにかく、なんていうの、スイッチとか半導体とかそういうそれそのものじゃなくて、それらの何かに本当に絶対に必要な、なんかちょっと、ちょっとしたやつ(笑)。ちょっと忘れたけど、ちょっとした金具みたいなやつ。それだけを専門に作ってる。それはどんな時代になっても絶対に必要なんだって(笑)。どんなパソコンにも絶対入ってて。で、それに特化して作ってるから、で、ほかにそういう会社ってあんまりないから、どんなときも景気いいんだって(笑)。今なんの話してたんだっけ(笑)?
(一同笑)
あ、そうそう、だから――で、それは、わたしそれ聞いたときに、「え、そんなやつ? こんな、これ?」――みたいな感じ。そんなのが本当に必要だとは思えないんだけど、でもシステム上、絶対必要であると。それが一個ないだけで何も成り立たなくなってしまうみたいな話を聞いてね。だから今言ったのと同じだね。つまり一つ一つのこういった教え自体も、実際には――もちろんいろいろあるよ、実際それがなくても動く教えもあるかもしれない。でもそれがないと動かない教えがあるかもしれない。だから、その一つ一つを――だからすごく修行っていうのはデリケートなんだね。「自分は一生懸命やっているのになぜ進まないんだろう? なぜここでいつも止まってしまうんだろう?」――実は、自分がそんなにそこは重要じゃないと思っていた、思っていたがゆえに手をつけていなかったある部分が問題だった可能性がある。
だから繰り返すけど、それぞれの習性によって、実際には、力を入れるところが微妙に違っちゃって、違うものができあがるのはそれはそれで別に問題ないんだけど。ただ、おろそかにする気持ちは捨てた方がいいね。つまり一個一個の教えを、本当に貴重なものなんだと、全部貴重なんだと考えて大事にとらえる心があれば、それらが、皆さんが理解してようがしてまいが、皆さんが間違った道に行かないように、あるいは速やかに道を進めるような、いろんなパーツとして皆さんの修行人生に働いてくれるだろうということですね。
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