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解説「王のための四十のドーハー」第五回(3)

 はい。で、ちょっと話を戻すけども、そのようなおどろおどろしい火葬場で、二人で住み、何をやってたかっていうと、毎日歌って踊ってた(笑)。毎日歌って踊ってたと。で、おそらくね、そこでは書かれてないけども、その当時の密教徒の風習からして、おそらく、肉を食べ酒を飲み、歌って踊ってた。で、これが、例のサラハのことが大好きな王様の耳に入ったんです。で、王様は大ショックを受けた(笑)。つまり、あの品行方正で、つまり非常に清らかなエリート的なあの愛しい青年サラハが、火葬場で女と住み、で、ヒンドゥー教っていうのは肉――まあ特に牛肉ね。牛肉と酒をものすごく忌み嫌います。忌み嫌うっていうか、それをとることは不浄であると考える。ヒンドゥー教においては、知ってると思うけど、例えばマリファナとかの方が別にいいんですね。酒の方が悪なんです。その辺は社会の価値観の違いだけどね。だからヒンドゥー教――まあ真面目なね、ヒンドゥー教徒の前で、例えば酒を勧めたり酒を飲んだりすると、もう大非難される。「何をやってるんだ、おまえは!」と。でもその人はなんかマリファナ吸ってたりするわけだね(笑)。だから全然価値観が違うんだけど。だから酒とか肉ね、特に牛肉っていうのは、もう最悪であると。でも酒を飲み、肉を食らい、で、女の子とただ歌って踊ってると(笑)。サラハはいったいどうしてしまったんだと。ちょっとおかしくなったのか、ということで、その王様が自分の部下たちを行かせるわけですね。ちょっと聞いてこいと。いったい何をやってるのかと。
 で、その部下たちが行ったら、サラハがその王様の部下たちに対してね、百六十の詩を歌うんですね。百六十の詩を歌って、で、それがまあ、つまり悟りの歌だったんだけど。その歌を聞いた瞬間、その部下たちは悟ってしまったんです。で、部下たちも歌って踊り始めた(笑)。

(一同笑)

 そしたら王様は、「部下が戻ってこない」と。部下がサラハのもとに行って全く戻って来ないと。いったいどうしたんだと。そこで王様は今度は、自分の娘、つまり王女ですね。王女を遣わせた。なぜかというと、この王様はサラハのことをすごく気に入ってたから、将来この王女をサラハにあげようと思ってたんだね。結婚させようと思ってた。だからその自分の娘を、おまえが聞いてこいって言って、サラハのもとに送ったと。そしたらサラハは今度はこのやってきた娘に、八十の悟りの歌を歌った。つまりさっきの半分です。これはどういうことかっていうと、この娘が、大変な優れた素質を持っていたからです。つまり、百六十もいらなかったんです。半分の八十で良かった。で、その八十の教えだけで、この娘も悟ってしまった。で、そこで娘も歌って踊って、帰ってこなくなっちゃった(笑)。
 で、ついに王様が、誰も帰ってこないということで(笑)、じゃあついに自分が行くしかないっていうことで自ら行ったわけですね。で、この自ら行った王様に対してサラハが説いた教えが、今日学ぶ四十の詩なんだね。これも分かると思うけども、なぜ王様に四十だったかっていうと、つまり、さらに王様は優れていたからなんです。つまり四十で大丈夫だったんです。四十の教えだけで、王様はやはり悟ってしまったんだね。で、悟ってしまって、やはり同じように歌って踊ってっていう感じになった。
 で、この国の中心人物である王様が、そのような完全な悟りを得てしまったので、そしてその王様を中心とした王族のグループもみんな悟りを得てしまったので、なんていうかな、その影響力によって、その国全体がみんな悟っちゃったっていう話がある(笑)。これがサラハの物語だね。
 悟りを得て、日々歌ったり踊ったりしてると。これはまあ、ラーマクリシュナとすごく近い感じがするね。ラーマクリシュナも、皆さん知ってのとおり、まあ、毎日のように、歌ったり踊ったりするんだね。で、その歌ったり踊ったりしてる最中にサマーディに入ってしまう。もう動かなくなってしまうんだね。で、また歌が始まり、で、涙を流すと。で、弟子たちも、すごい高い境地に導かれたりとか。まあ、こういう、なんていうか一つのパターンがある。これは歌や踊りが大事なわけではなくて、まさに、なんていうかな、われわれの悟りの、何ものにも妨げられない、心の奥にある純粋なエネルギーっていうかな、純粋な心の一つの表現なんだね。

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