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解説「王のための四十のドーハー」第一回(3)

 はい。で、サラハはその女性を見たときに、それにまず気付いた。あ、この女性は一見ただの職人に見えるが、完全に瞑想に没頭していると。それはそこら辺で座って瞑想したふりをしてるような修行者なんかはるかに及ばないくらい、集中して矢を作ってると。これは素晴らしいと。で、それだけではなくて、サラハがそのすべてを集中して観察したところ、この女性は実は、矢を作るという作業によって、いろんな象徴を表わしてることに気付いた。
 実はこれがマハームドラー系統の修行の特徴なんだね。まあ、これはもちろんいろんな修行でそういうのがあるんだけど、マハームドラーっていうのはそれがすごく強い。どういうことかっていうと、象徴を読み取るんです。つまり、一般論として言うと、すべてここに現われてるものっていうのは、なんの意味もないものはあり得ない。すべて意味がある。それはいろんな言い方ができるけど、心のあらわれとも言えるし、あるいは神や仏陀からのサインとも言える。何かあるんだね。偶然っていうのはあり得ない。で、それを読み取るんですね、マハームドラー的な修行者っていうのは。もちろん適当に読み取るんじゃないよ。都合のいいように、「おっ、これはこういう意味かな」とか読み取るんじゃなくて、ほんとに読み取る。で、もう一つ――今のは一般論だけど、もう一つは、ほんとのそういうものを知ってる人っていうのは、自分でもその象徴をいろいろやるんだね。でもそれは分かる人にしか分からない。でもそれも、このサラハは天才的な素質があったから、この矢を作ってる女性がやってる動作が、実はすべて悟りの象徴だっていうことに気付いた。
 で、それを、その女性に言ったわけだね。「あなたはただの矢を作る職人ではありませんね」と。で、その女性は、サラハを受け入れたわけだね。つまりこの女性っていうのは実は、サラハのために用意されていたダーキニーだったんだね。ダーキニーっていうのは、まあいろんなレベルのダーキニーがいるんだけど――もともとね、ダーキニーっていう言葉は、ヒンドゥー教のカーリー女神、このカーリー女神の侍者をいうんだね。侍者って、つまりカーリー女神についてるお付きの女神がいっぱいいるんだけど、これがもともとダーキニーだったんだけど、それがまあ仏教に取り入れられたんですが。ダーキニーっていう言葉っていうのは結構幅広くて、例えばミラレーパの話とかに出てくるダーキニーの中には、そこら辺を浮遊してる、ちょっとお化けみたいなダーキニーもいる。そんなに、なんていうか高い悟りを開いていないダーキニーもいる。あるいは、ある程度はレベルが高いんだけど、でもまだ完全な悟りを得ていないダーキニーもいる。そうじゃなくて仏陀の化身のようなダーキニーもいる。とにかくダーキニーといった場合、なんらかのかたちで修行者を導いて助けていく女神的な存在を指すんだね。
 で、このサラハの前に現われたダーキニーは、もちろん仏陀の化身としての、つまりサラハを導く、仏陀の化身としてのダーキニーだったんだね。
 一般的な例えばヨーガ、あるいは仏教では、女性っていうのはどちらかというと、劣った者とされる場合が多いんだけど。例えば女性っていうのはとても煩悩が強いとかね、女性というのは怒りっぽいとか怠惰であるとか、いろいろ挙げられる場合が多いんだが、密教においては逆に、女性の持ってる、まあ、素晴らしい要素を昇華させたかたちとしてのダーキニーの存在っていうのがすごく重要視される。必ずなんらかのかたちで修行者にはダーキニーが現われて、助けるっていわれてるんだね。
 で、このサラハの場合は非常にストレートっていうか、つまりその仏陀の化身としてのダーキニーがポーンと現われて、彼女がサラハを師匠みたいな感じで導くわけだけど。
 サラハは完全にその女性が自分を導いてくれる偉大な存在だって直観して、で、それ以降、その女性と共に暮らし始める。どういうふうに暮らし始めたかというと、火葬場、つまりヴァーラーナシーにあるような、いわゆる死体焼き場だね。死体を焼くところにその女性とサラハは一緒に住んで、歌を歌い、ちょっと狂った者のように踊ってると。で、この知らせが、かつてのサラハが勤めていたお城の王様の耳に入った。大変な悪い噂として入ってきた。
 つまりどういうことかっていうと、まずサラハがシュリーキールティのもとに出家したわけだけど、それ自体もその王様は良く思ってなかったんだね。なんでかっていうと、もともと――当時はまだ仏教っていうのはインド全体に広まってたんだけど、でもやっぱりインドっていうのはヒンドゥー教が根強いから、で、王様もヒンドゥー教徒だったから、仏教っていうのは外道だって思ってた。で、自分の大好きなサラハが、せっかくのその高い地位を捨てて、仏教徒の弟子になっちゃった。それもちょっと良く思ってなかったんだけど、噂を聞いたら、そのサラハがシュリーキールティのもとを離れて、今では火葬場で女と暮らして歌って踊ってると(笑)。それを聞いて王様は大変ショックを受けたんだね。
 まずヒンドゥー教っていうのは、みんなも知ってるとおり、非常に不浄観が強いんだね。不浄観っていうのは、清らかなものと不浄なものをすごく分けるんですね。で、不浄なものっていうのは、絶対そういうことをやってはいけない、もしくは触れてもいけない、っていう考え方がある。で、その考え方でいうと、火葬場ってもちろん不浄なわけです。もちろん死体を焼いてるわけだから。その火葬場に住んでると。しかも、女と住んでる。しかもその女っていうのは矢作り職人だと。矢作り職人といってもピンとこないかもしれないけど、カースト制度っていうのがもちろんあるわけだね。カーストっていうのは、まあよくいわれている、ブラーフミンと武士と商人と奴隷、この四つだけではなくて、さらに細かくいろいろ分かれてるわけです。だからわれわれから見ると「え?」って感じなんだけど、職業でもすごく優劣があるんだね。すごく高貴な職業、それから劣った職業とか分類がいっぱいあるんです。

 例えば、前も言ったけど、Tさんに怒られるかもしれないけど、床屋って昔のインドではすごく劣った職業とされてたらしいんだね(笑)。で、お釈迦様は逆にそれを利用して――まあ、偶然か利用したか分かんないけど、お釈迦様が、さっき言ったようにお城に帰って――ちょっと話がずれるけどね――お城に帰って、故郷の男どもを出家させたときに、ほとんどの男たちは高貴な武士階級の出身だったんだけど、一番最初にお釈迦様が出家させたのは、床屋のウパーリっていう男だったんです。で、お釈迦様はルールを設けたんです。おまえたちの上下関係は、もう出家前のカーストとか、身分は関係ないと。早く出家した順に、先輩だと。早く出家した順に敬意を払わなきゃいけないっていうルールを決めたんだね。で、お釈迦様は一番最初に、低い身分のウパーリを出家させたんです。で、そのあとに王族たちを出家させた。だから王族たちはそこで、それまでばかにしてたっていうか、低く見ていた――低くっていうのはつまり、われわれからはもう考えられないくらい低いんだよ。もう触ってもいけないぐらいの世界だから。もう例えば、かなり高い身分の者が低い身分の職業の者に触れたら、ガンジス川とかで浄化しなきゃいけないぐらいのことなんだね。あるいはもちろん一緒に食事をしてもいけない。一緒のテーブルで食事をしたらその食べたものは不浄になるとまでいわれる。それくらいの徹底した身分制度みたいなものがあった。で、そのウパーリを、お城から出家した者の中で最高の地位に置いたんだね。で、それまで王族として威張ってた人たちは彼を尊敬しなきゃいけなくなった。これでおそらくお釈迦様は、その王族の弟子たちのプライドをつぶすとともに、彼らが小さいころからもうずーっとインプットされてきたカースト、つまり生まれによる差別意識みたいなものを破壊したんだろうね。
 

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