解説「ラーマクリシュナの生涯」第一回(6)

◎神への素朴な信仰のある実例
クディラムの妹の息子であるラーマチャンドラは、カマルプクルの南西約四十マイルにあるメディニプルという町で、収入の多い仕事をしていた。彼は貧しい親戚たちの窮状を思って、クディラムや他の親戚たちに、収入の中から毎月援助をしていた。クディラムも甥のラーマチャンドラを愛し、しばらく便りがないと、自分から遠いメディニプルまで歩いて会いに行くのだった。
あるとき、ラーマチャンドラからしばらく便りがなかったので、クディラムは例によってメディニプルまで歩いて向かった。早朝に出発した彼は、十時頃にある村に着いた。するとそこで、ヴィルヴァの木に葉がついているのを見た。ヴィルヴァの葉はシヴァの礼拝に欠かせないのだが、この時期は普通はヴィルヴァの葉は枯れ落ちているので、クディラムはシヴァの礼拝に不便を感じていたのだった。クディラムの心は喜びに躍り、メディニプルに行くことはすっかり忘れてしまった。彼は籠を手に入れると、その中にヴィルヴァの葉をいっぱいに満たし、来た道を引き返した。そして午後三時頃に帰宅すると、沐浴し、それからその葉を捧げて長い間喜ばしげに大神シヴァと母なる神シータラーを礼拝した。
礼拝を終えて食事の席に着いたとき、チャンドラデーヴィーはクディラムに、メディニプルに行かなかったわけを尋ねた。一部始終を告げられたとき、彼女は、クディラムがただ木の葉を捧げてシヴァを礼拝したいばかりにあれだけの距離を引き返してきたのだと知って、驚いた。クディラムは翌朝早く、再びメディニプルに向かって出発した。
はい。これはクディラムの素朴な信仰の、まあ一つのエピソードですね。クディラムの妹の息子にラーマチャンドラっていう人がいて、この人は収入が多かったので、このクディラムをはじめとした貧しい親戚たちに、幾ばくかの援助をしていましたと。で、クディラムはこの甥であるラーマチャンドラを非常に愛していて、しばらく便りがないときとかは自分から遠いメディニプルまで歩いて会いに行ったと。
これ、インドとかチベット、日本もそうなのかな? 一般的にもそうなのかもしれないけど、特にインドとかチベットとかって、甥ってすごく大好きなんですよね(笑)。
(一同笑)
日本もそうなのかな? うん。甥ってすごく可愛がるっていうか。うん。責任がないから可愛がるのかもしれないけど。甥のことをすごい溺愛するみたいな話がよく出てくるけど、このクディラムも甥であるラーマチャンドラを非常に愛していて、しばらく会えなかったりすると、もう自分で会いに行ったりしてたと。
はい。で、このラーマチャンドラが住んでるメディニプル……だからこれ、ここに書いてある数字を逆算すると五時間ぐらいかかるのかもしれないね。五時間。だから早朝に出て、多分朝五時ごろに出て、歩いて――あ、メディニプルまでじゃなくて、メディニプルの前のどっかの村まで五時間ね。五時間歩いて、ある村に着いたと。で、もうすぐだったのかもしれないけど、五時間かけて歩いてそこに着いて、で、そこでヴィルヴァの葉っぱが木についていると(笑)。で、ここに書いてるように、ヴィルヴァの葉っていうのはシヴァの礼拝に使うものなんだけど、この季節は普通はもうヴィルヴァの葉って枯れ落ちちゃってると。普通はなかなか手に入らないと。その葉っぱがその村ではついていたと。ね。そこでこのクディラムは喜びに踊り、メディニプルに行くことはすっかり忘れてしまったと。忘れて、籠にそのヴィルヴァの葉をいっぱい満たして、また五時間かけて家に帰ってたと。で、家に帰って沐浴すると、その葉を捧げて長い間喜ばしげにシヴァとシータラー女神を礼拝し続けたと。で、この一部始終を聞いた奥さんのチャンドラデーヴィーは唖然としたと。
もちろんチャンドラデーヴィーは純粋な人ですけども、まだおそらく、無智なところもあったのかもしれない。なんていうか、クディラムの気持ちまで分かんなかったのかもしれないけど、一般的にいったらそうですよね。一般的にいったら……つまり何を言ってるかっていうと、つまり実際には歩いて途中の村で五時間だから、目的地まではもっとさらにかかったんでしょうけども。で、その目的地近くまで歩いていって、もう五時間も歩いといて、葉っぱ見つけたと。
(一同笑)
葉っぱ持って、さらにもう五時間かけて帰ってきて、で、葉っぱで「おおー」とか言って、なんか子供のように、「シヴァよー」って葉っぱを捧げて、もうそれで満悦してるというか(笑)。うん。「ええー!?」みたいな感じ。普通はね。
つまり――もう一回言うよ。言葉だけ言ったらそうでしょ。言葉だけ言ったら、五時間かけて途中まで行って、葉っぱ見つけて(笑)、
(一同笑)
葉っぱ持って帰って、さらに五時間かけて、本来の目的を果たさずに五時間かけて帰ってきて、で、もう葉っぱ捧げて喜んでると。うん。でもそれはもうバクティ的な見地から言ったらすごい純粋な感動的な話ですよね。うん。
つまり、そこにまさに損得勘定なんか何もない。五時間歩いたのにとかね、うん。そんなの何もない。ただ彼にとっては、「おおー!」――つまりもう価値が全く違うわけだね。普通の人にとってはそれは、確かに礼拝とかに使うけども、でも葉っぱじゃんっていう感じかもしれないけど、彼にとっては、まさにシヴァへの捧げもの。わたしがほんとに、ね、礼拝のために欲しくてたまらなかった捧げものがあったと。これがあればシヴァ様に喜んでいただける、っていう気持ちだけで、それを集めて、で、もうほんとにね、甥に会いに行くみたいな気持ちは全部忘れちゃって、ほんと素朴な信仰心によって五時間かけて帰ってきてシヴァを礼拝したと。
まあこういうのも、やはりわれわれは、ね、忘れちゃいけないっていうか、われわれは学ばなきゃいけないところですね。素朴な信仰心ね。