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解説「ミラレーパの十万歌」第二回(12)

◎「わたし」という非現実的な考え

 で、バーッと教えを説くわけですが、あまり内容はね、突っ込まないけど、ある程度はね、読んだら分かるようなことだと思います。まあ、最後の方のところだけ言うと、

 自己の心のうちに、心の原初の状態を瞑想するとき、『わたし』という非現実的な考えは、ダルマダートゥの領域の中にとけていく。

 これはとても面白いね。つまり仏教にしろヨーガにしろ、エゴ、わたくし、つまり自我っていうものは実体がないよっていうことを言うわけだけど、このミラレーパの言い方はとても面白い。「わたしという非現実的な考え」と。ね(笑)。「わたし」「わたしは」――つまりだいたい人間って全部最初に「わたし」が来る。「わたしはさあ」「わたしはこう思う」――その「わたし」ってどこにあるの?と。ね。これを追求するわけだけど、そうすると、「あれ? わたしって結局どこにもない」ってことが分かってくるんだけど、それはもうミラレーパはズバッと「非現実的な考え」って言ってる(笑)。
 「わたし」っていう非現実的な考え。それは――そうですね、よくある例えでいうと、夢で出会った恋人との間にできた子供みたいな話です。そんなのはどこにも存在しない。現実的に存在しないし、存在しようがない。だって夢で出会った男なんだから。あるいは女。その相手と自分の間に生まれた子供のことを例えば妄想するとしてね。例えばMさんが夢ですごい素敵な、かずおさんっていう男と出会って(笑)。

(一同笑)

 で、夢の中ですごい恋に落ちちゃって、で、夢の中でね、子供が生まれましたと。で、夢から覚めましたと。ね(笑)。夢から覚めて――夢から覚めたら、そんな子供なんていないじゃないですか。いや、子供がいないどころか、子供の父親であるかずおさんすら存在しないんですよ。だからあり得ないです。このかずおさん――あのさ、現実的にいる人だったらまだ分かるよ。例えば「会社の同僚のなんとかさんとの子供ができたらな」――これはまだ分かる。じゃなくて、存在しないかずおさんとの子供のことを妄想する。「もしこの子が生まれたら名前はどうしようかしら。ああしようかしら」――もうあり得ないよね、それね(笑)。そんな無駄なことしてどうするんだと。非現実的だと。
 つまり、これと同じくらい「わたし」っていうのは非現実的なんだと。「わたしは」とか言ってるけど、その「わたし」っていう考え自体、「わたし」っていう思い自体が現実的じゃないんだよと。どこにも「わたし」なんていないんですよ、ということだね。
 これはすごく、なんていうか、いい言葉だね。心の原初――これはヨーガ的に言うと真我になってしまうわけだけど、仏教では真我っていう言葉を使わないけど、自分の心の本質、本性みたいなものをずーっと追求していくと、最終的にはその「わたし」という非現実的な考えは――ダルマダートゥっていうのはこれは悟りの世界、真実の世界ね。この真実の世界の中に溶けていくんですよと。そこには「苦しめる者も、苦しめられる者も見られない。」――つまり、そのような相対的なものを超えた世界っていうことだね。それが真実の世界だよと。スートラ――スートラって経典ね。あらゆる経典を徹底的に研究しても、それ以上の教えっていうのはどこにない、ありませんということですね。

◎悪魔たちの改心

 悪魔たちのリーダーとその他の悪魔たちは、ミラレーパに彼らの頭蓋骨を布施し、礼拝し、彼の周りを何度も回りました。彼らは一ヶ月分の食料を布施することを約束して、虹のように消えていきました。

 翌朝の日の出ごろ、バロは、めかした多くの女性の霊たちや、無数の従者たちとともにやってきました。彼らは、宝石をちりばめたカップにワインを満たし、真鍮の皿に米や肉などの様々な食物を盛り、それらをジェツンに供養しました。そして、今後は彼に奉仕し従うことを約束し、何度も礼拝して、消えていきました。ジャルボ・トンテムという悪魔は、多くのデーヴァたちのリーダーでもありました。

 はい。ここもなんかリアリティがあって面白いね。女性の霊がめかしてる(笑)。女性の霊が化粧して着飾ってやってきたんだよ(笑)。とてもなんか面白いよね。で、実際にワインを持って来たりとかね、つまり非常に、曖昧な世界じゃないんだね。曖昧に魔的なエネルギーがバーッてきてミラレーパが打ち勝って、バーッて消えましたとかじゃなくて、霊には霊の生活があるんです、普通に(笑)。生活があって、つまりその辺にいる悪党みたいな感じで生活があるんだけど、ミラレーパによって改心させられたんで、その感謝としてね、十分なもてなしをしたんだろうね。ちょっと女性の霊に声をかけてね、「おまえたち来い」と。「ほら、めかして」と。ね(笑)。「ミラレーパ様に会いに行こう」と(笑)。もてなしをすると(笑)。すごくなんていうか、リアリティがある面白い話だね。

◎レーグ・ルング

 この経験によって、ミラレーパのヨーガ修行は大いに進歩しました。彼は、飢えに苦しむこともなく、高揚し歓喜した気分で、一ヶ月間、そこにとどまりました。

 その後のある日、彼は、水が良いので有名な、ラシのとある地を思い出し、そこへ行こうと決意しました。
 その道の途上で、彼はタマリスクがところどころに繁茂している平原にやってきました。その平原の中央には、棚上の出っ張りのある、大きな岩がありました。その上にしばらく座っていると、多くの女神たちがあらわれ、礼拝し、必要な供物をもってミラレーパに奉仕しました。彼女たちの一人もまた、岩の上に二つの足跡を残し、そして虹のように消えていきました。

 歩きつづけていると、大勢の悪魔たちが集まってきて、道の上に、巨大な女性性器のヴィジョンを作り出しました。ジェツンは心を集中し、あるしぐさをなして、自分の直立した男性性器をあらわしました。九つの女性性器の幻を通り過ぎてさらに進むと、中央に膣のような形のある岩の場所に来ました。それは、その土地の精でした。ミラレーパが、象徴的行為として、男性性器の形の石をその岩のくぼみに挿入すると、悪魔たちによって作り出されたみだらな現象は消えました。その地はのちに、レーグ・ルングと呼ばれました。

 はい。これは、なんていうかな、皆さんには理解できないと考えてください(笑)。これはつまり、ここで魔がやってきたことと、ミラレーパがそれを消したやり方が、これはもう、ほんとに高度な魔と聖者との戦いなんだね。それを客観的に普通の人が見ると、「何やってんだ?」って感じなんだけど(笑)。つまり魔が女性性器をいっぱい出して、ミラレーパが男性性器のヴィジョンをつくって、それを入れてパッて消えたと。それでミラレーパが勝ったって、「なんだそれは!?」って感じなんだけど(笑)。

(一同笑)

 でもそれはすべて高度な戦いなんだね(笑)。そういうのはいろいろあるんだね。ちょっと凡人には理解できないような戦いみたいなのがね。だからそれはあまり深く考えなくてもいいです、ここはね(笑)。

◎悪魔の征服

 平原の真ん中に来た時、悪魔のバロが戻ってきて、ミラレーパを歓迎しました。彼はジェツンのために説法の座を用意し、布施をし、奉仕をし、仏教の教えを求めました。ミラレーパは、カルマについて彼に詳しく説き、それから悪魔は、法座の前の大きな岩の中に溶け込みました。

 ミラレーパは大いに歓喜した状態で、その平原に一ヶ月間とどまり、その後、ニャノンツァルマに向かいました。そこの人々に彼は、
「その平原は、わたしが悪魔たちを征服し、ダルマの実践に適した土地に変えるまでは、実に忌まわしい地であった」
と語りました。
 また、できるだけ早くそこへ戻って瞑想したいと語りました。
 ニャノンの人々は、ミラレーパに深い信仰を持ちました。

 これが「ラシへの旅」の物語です。

 はい。まあ、これはまとめですね。こういう感じでミラレーパは悪魔と戦い――まあ、悪魔を単純に倒して殺したりするわけじゃなくて、すべて仏教の守護者みたいな――つまりミラレーパに奉仕する信者とか守護者に変えていくんだね。つまりそれによってチベットっていう地が、まあ、逆にね、今までチベットに邪悪なものをもたらしてた魔たちによって、逆にチベットが仏教によって守られていくっていうか、これがパドマサンバヴァとかミラレーパがやってきたことだね。
 

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