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解説「ミラレーパの十万歌」第一回(7)

【本文】

 わが庵のあるこの孤独な場所は、
 仏陀方を喜ばせる地、
 成就者たちの住む地、
 わたしが一人住む避難所である。

 「赤い岩の宝石の谷」の上には、白い雲が流れている。
 またその下には、ツァン河がやさしく流れている。
 そしてその間を、コンドルが旋回する。

 ミツバチは、花々の香りに酔わされ、
 その間でハミングする。
 鳥たちは、大気を歌声で満たしつつ、
 木々に降りては、また飛び立つ。

 「赤い岩の宝石の谷」では、
 若いスズメたちは飛ぶことを学び、
 猿たちは飛び跳ねて遊びまわるのを好む。
 そして獣たちは走り回り、競争する。
 一方わたしは、二つの菩提心の修行をし、瞑想を楽しむ。

 あなた方、この地方の悪魔たち、霊たち、そして神々は、
 皆、ミラレーパの友達である。
 慈愛と哀れみの甘露を飲んで、あなた方の家に帰りなさい。

 しかし、インドの悪魔たちは消えず、ミラレーパを鋭くにらみつけました。彼らのうちの二人はミラレーパの方に進んできました。一人はしかめっ面で下くちびるをかみ、もう一人は激しく歯ぎしりをしていました。残りの一人は後ろに回り、不気味で恐ろしい笑い声を発して、大声で叫びました。彼らは皆、恐ろしい顔や態度によって、ミラレーパを脅そうとしていました。
 ミラレーパは彼らの悪意を知って、激怒している仏陀の瞑想を始めて、強力なマントラを力強く唱えました。しかしそれでも悪魔たちは去りませんでした。
 次に偉大なる慈悲をもって彼らにダルマを説きました。しかしやはり去りませんでした。

 ミラレーパはついに宣言しました。
「マルパの哀れみによってわたしは、すべての存在とすべての現象が自分の心に他ならないと、すでに完全に悟っている。心そのものは、空の透明さである。したがって、こんなことをして何になるのか。わたしはなんと愚かだったのか。これらのあらわれを、物理的に追い払おうとするとは!」

 そして敢然と「悟りの歌」を歌いました。

 はい。これはつまりミラレーパが、魔的な者たちに友好的に挨拶をしたけども、全然彼らは去ろうとしない。それどころか非常に敵意を表わしてきたと。そこで今度はミラレーパはやり方を変え、激怒のブッダね――つまり、みんなも見たことあるであろう、いろんな怖い感じのブッダがあるよね。ああいう瞑想を初めて、魔を払うような強力なマントラを唱えたと。しかしそれでも去らなかった。で、またミラレーパはやり方を変えて、今度は慈悲によって教えを説いたと。つまり、いろんな教えを慈悲深く説き始めたと。それでも去らなかった。
 で、ついにミラレーパはここで――まあ宣言したというか、別の言い方をすると、自分の過ちに気付くわけです。
 「マルパの哀れみによって、わたしは、すべての存在とすべての現象が、自分の心に他ならないとすでに完全に悟っている」と。
 「心そのものは、空の透明さである。したがって、こんなことをして何になるのか。わたしはなんと愚かだったのか。これらのあらわれを、物理的に追い払おうとするとは!」と。
 つまりミラレーパはすでに、「一切は心の現われである」と――それは悪魔だけじゃないよ。例えば、ねえ、この部屋にいる、例えばわたしがいたとして、ここにいるみんなはわたしの心の現われに過ぎない。で、そこで起きる現象もすべて心の現われに過ぎない。で、これを教えとしてではなくて完全にもう悟っている。悟ってるけども、さっきの帰依の話と同じで、だからといってそれが二十四時間、認識されてるかどうかはまた別問題なんだね。もちろん認識するようにしなきゃいけないんだけど、最初はこう瞑想したりしてそういう悟りを得て、でも現実生活では忘れてしまう。でも現実生活でも忘れないようにだんだんだんだん悟りを深めていくわけだけど。で、このミラレーパの場合は、瞑想においてはそういうことを悟ってたんだけど、現実生活ではそれをまあ忘れていて、悪魔を物理的に「さあ、追い払おう」という気持ちになってしまっていた。それを自分で反省するわけだね。「ああ、わたしは愚かであった」と。「すべてはわたしの心に過ぎなかった」と。
 はい、そして……ちょっと前に出てきたところで、ちょっとだけ言葉の説明をすると、二つの菩提心ね。二つの菩提心っていうのが出てきますが、これは何回か説明したけど、いわゆる基礎的な菩提心と絶対的な菩提心ってあるんだね。その基礎的な菩提心っていうのは、まあ普通にいうところの菩提心です。衆生はほんとにわたしにとって父や母のような存在だから、衆生を愛しましょうとか、衆生のためにブッダになろうとか、そういうことを高めていく段階だね。絶対的な菩提心っていうのは、完全な悟りを得たときに生じる、本質的な菩提心ね。本質的にもともとわれわれに備わってる慈悲に目覚めた状態ですね。
 あるいは別パターンとしては、誓願としての菩提心と、実際の菩提行としての菩提心という二つを指す場合もあります。だからそのどちらかの意味でしょうね。
 はい。で、ミラレーパはこのように自分の過ちに気付き、敢然と悟りの歌を歌いましたと。

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