解説「ナーローの生涯」第8回(11)
◎すべてがイニシエーションに
ところで実際問題としては、入らないけども教える場合があります。というよりも、その場合の方が多いと考えてください。つまりそれは何なのかというと、一応与えといて、で、同時に器作りをやるんだね。この場合の方が実際は多いかもしれない。つまり実際に修行進めつつ、例えば「はい、じゃあこのマントラこれくらい唱えてください」とか、あるいはいろんな瞑想法を日々やってると。で、それと同時に神の祝福によって、いろんな出来事によって、じわじわと皆さんの器が作り直され、それがある段階で完璧にその器になったとき、そのときに初めてその修行が皆さんにとって身のある、本当に皆さんを変えるものとして機能しだすっていうかな。
だからそういう意味でも教えっていうのは、非常に分かりづらいっていうか、表面的ではないんだね。表面的にポンポンポンとこの教えがあって――だからよく本とかに書いてるように、この教えを十万回、この教えを十万回、この教えを十万回。はい。例えば師匠にもつかないで、誰とも接さないで一人で山に籠って、この教えをポンポンポンとやれば悟るとか、そういう世界ではないんだね。そうじゃなくて、そこには必ずエゴを破壊する何らかの現象であったりが必要なんですね。それは皆さんが神に、あるいは解脱というものに、あるいは真理というものに心が向かってれば向かってるほど、その祝福っていうのは強烈に、あるいは速やかにやってきます。
だから皆さんにとっては、もともとバクティヨーガとかの考えでは、すべて受け入れるっていう考えがあるわけだけど、いつも言うように、われわれが現代日本という、この一般的にいえば修行とかしづらい時代に生まれてきてるわけだけども、これも実際は悪いこととはいえないんだね。これもまた神によってセッティングされた、われわれにとってのイニシエーションなのかもしれない。
つまりこの日本に生きて、あるいは皆さんの場合はこういうカイラスという場所があって、そこで法友がいてね、あるいはその法友と関係のない家族とか友達とかもいて、あるいは仕事とかもあって――この流れの中で、皆さんが皆さんなりに真理を追求していくと。あるいは修行を進めていくと。ここで起きるさまざまな現象のすべてが――いいですか?――皆さんの心が純粋であるならば、イニシエーションになります。不純であるならば、単なるエゴを増大させるカルマ的現象になるかもしれない。
それは実際には、何割かがイニシエーション、何割かが不純な現象っていう感じだと思う。だからその中でそれを読み違えないようにしなきゃいけないね。つまり自分に訪れた自分の器を作るための、例えば浄化の現象であるとか、苦しみの現象であるとか来るかもしれない。あるいは自分を変えてくれるようないろんな現象があるかもしれない。それを読み違えて逃げたりとか、あるいはそこで修行をやめてしまったりとか、そうしないようにしなきゃいけないね。非常に分かりづらい話ではあるけどね。
はい、ちょっと長くなっちゃいましたが――ここで教えた転移のヨーガっていうのは、これはいわゆる意識を移しかえる――つまり簡単に言うと、死後好きなところに行くためのヨーガです。つまり死んだ瞬間に自分の意識をポーンッと頭から抜いて、例えば浄土に行ったりとか。あるいは救済したい場合は、自分の好きなところに生まれ変わって救済するためのヨーガです。
で、この転移のヨーガっていうのは、実際は保険みたいなものだと考えてください。保険みたいなものっていうのは、その人が生きてる間に完全な解脱に達していれば、この転移のヨーガは必要ないんです。だって自然にいい世界に行くし、あるいは自然に自分の転生をコントロールできるようになってるから。でもこの転移のヨーガっていうのはそういう意味でいったら、完全な解脱ができなかった場合にも、このテクニックをちゃんと使えるようになってれば、ある程度転生はコントロールできますよっていうヨーガです、これはね。
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