解説「シクシャーサムッチャヤ」第一回(8)

はい。そして、「感覚器官を障害なく持つことは難しい。」と。これはつまり、目とか耳とかね。つまり目が見えなかったら本は読めない。耳が聞こえなかったら教えを聞けないと。まあ、もちろんそれでもなんとかはなるでしょう。点字とかね、いろいろできるだろうけど、まあ、でもすごくやりづらくなることは確かですね。だからそういう感覚とかがしっかりしてることに越したことはない。で、われわれは一応は、障害のない目や耳を持ってるということですね。
そして、「ブッダの教えを聞く機会を持つことは難しい。」――つまりブッダの教え――今みたいにね、まだブッダや真理の教えがある時代に生まれたのはいいが、それを学べる機会がないことの方がまた多いわけですね。
例えばこの地球人類七十億の中でね、どれだけの人間がブッダの教え、あるいは真理の教えと触れているのかと。――表面上触れている人は結構いるかもしれない。でもその本質的な部分、本質的な教えっていうものを、教えを受ける機会にある者っていうのは非常に少ないということですね。
前にも言ったけど、最近の例えば日本のお坊さんというのは、輪廻転生を信じてない人が結構いるらしいんだね。つまり仏教を教える立場にある者ですら、輪廻を信じてない人がたくさんいると。あるいは自分の宗派の一部の教えしか知らないお坊さんもいっぱいいると。まあ、そういう時代になってる。
だから、そういった仏教とかヨーガとか――まあヨーガにいたっては、もちろんみんなも分かると思うけど、今ヨーガっていったら、世間では体操のことだと思われてる(笑)。ね。こういう時代なわけだね。本当はヨーガというのは、本当に過去の偉大な聖者が残した、まさに人生の意味、あるいはわたしたちが生まれてきた意味を悟る最高の道の一つなわけだけども。つまり最高の道の一つとしてさまざまヨーガの技法があって、で、そのヨーガの技法はちょっとなかなか、いきなりやってもなかなか難しいと。よってまず準備運動として体操から入りましょうかと。それが今世に広まっちゃった。準備運動だけが今広まってる。だから――まあただこれはね、悪いことではない。いつも言ってるけど、今日本でもヨーガのブームが起きてるけども、悪いことじゃないっていうのは、裾野が広がっているから。裾野が広がるっていうことは、そこから本物にたどり着く人も増えるっていうことです。裾野が広がって、ただの体操とか美容としてだけだったとしても、多くの人がヨーガをやり始めれば、その中の何割かは、もうちょっと極めてみたいなと思うかもしれない。
前にも、わたし無料体験やっててね、まあヨーガ暦八年とかいうある女性が来られて。で、話してたら、「どういうヨーガやってたんですか?」って聞いたら――まあ公民館のヨーガって言ってて、どういうことやるんですかって言ったら、七、八個のアーサナだけなんだって。それを八年間やってきたっていうから、逆にすごいと思って(笑)。七、八個のアーサナを――なんかそのスクールは半年で入れ替わるらしいんだね。半年間その七、八個をやって、はい、じゃあ次の期って感じになるらしいんだけど、その人は八年間継続してやってきたらしくて、逆にすごいと思ったけど(笑)。でもまあ、そういうふうに思われてる。普通はね。ヨーガっていうのはそういうもんだと。でもまあ、そこで探求心があると「いや、こんなもんじゃないだろう」と。
あるいはヨーガによって心が目覚めてきて――これも前にも言ったけど、まあ、もちろん昔はカイラスにインストラクターとかいなかったから、わたし一人で来た人みんなを指導してたわけだけど、まあ、やせたいという人とか、あるいはちょっと病気がちでっていう人とかが来て、まあ、そういう人たちって激しい修行とかできないし、教えとかもいきなり言ってもどうかなと思うから、アーサナばっかりやらせるわけだね。アーサナばっかりやって、一ヶ月、二ヶ月、半年とか経ったころに、その人たちが、「先生、真理ってなんでしょうか?」とか(笑)。「えーっ!?」と思って(笑)。「……ちょっと待って。わたしはこの人に一言もそんなこと言ってないし、アーサナしかやらせてない」と。「アーサナもすごいな」と思って。アーサナだけでこんなに心が目覚めたのかと思って(笑)。まあ、馬鹿にできないものがあるんだね。もちろんそれは縁があったんでしょう。もともとその人たちはそういう深い真理と縁があって、それがアーサナとかで気が通って目覚めたんだろうけど。だからそういう人もいるわけですね。
だからそういう多くの――裾野が広がったことによって、ちょっと探求してみたいっていう人が出てくる。それはいいことですね。でもまあ、その中の真髄的なものに巡り合えるかどうかは、それはまた別であると。それもまた稀なことであると。
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