覚醒の虹の宝飾(6)「無常を修習する」
◎今生の喜びの対象に執着することを除去するために――無常を修習する
そのうち、まず第一番目の、今生の喜びの対象に執着することを除去する方法として、無常を修習することを説明しましょう。
一般的にいって、すべての作られたものは無常です。積み重ねたものは尽き、建てたものは倒れ、出会ったものは別れ、生まれたものは死にます。
無常には、
①世界は無常であること
②衆生は無常であること
の二つがあります。
さらに、①世界は無常であることには、
①-①粗雑な無常
①-②微細な無常
の二つがあります。
②衆生は無常であることにも、
②-①他者は無常であること
②-②自己は無常であること
の二つがあります。
①-①世界の粗雑な無常
この宇宙は無常であり、カルパと呼ばれる巨大な宇宙周期の終わりには、すべてが虚空に溶け込むのです。
①-②世界の微細な無常
①-②-①まず世界には、季節の移り変わりという無常があります。
①-②-②そして、昼夜による無常があります。止まることなく、夜と昼が繰り返されます。
①-②-③そして実際は、瞬間瞬間、世界は移り変わっているのです。瞬間瞬間、世界は滅し、また生じています。今この瞬間のこの世界は、実は次の瞬間には、別のものになっているのです。それが変わっていないように見えるのは、瞬間的に滅した後、前の瞬間と非常に似た世界が瞬間的に生じているからです。
②-①他者は無常であること
欲界・色界・無色界のすべての衆生は無常です。
②-②自己は無常であること
自己もまた、この世に自由にとどまり続けることはできず、必ず死がやってきます。それは、以下の二つの方法で理解すべきです。
②-②-①自己を観察すること
②-②-②他者の観察を適用すること
②-②-①自己を観察すること
自己を観察して無常を知るには、次のように修習します。
1.自分は必ず死ぬのだということを修習する。
「私はいつ死ぬか全くわからない。明日死ぬかもしれないし、一秒後に死ぬかもしれない」ということを思惟するのです。
2.死について修習する。
「私の命は尽きる。呼吸は止まる。身体は亡骸となり、腐り、焼かれ、骨となる。心はカルマによって、次の生へ運び去られる」ということを思惟するのです。
3.死が迫っていることを修習する。
「去年から今年までに一年が去った。その分、私は死に近づいた。先月から今月までに一月が去った。その分、私は死に近づいた。昨夜から今までの間に一日が去った。その分、私は死に近づいた。先ほどから今までの間に一瞬が去った。その分、私は死に近づいた」ということを思惟するのです。
4.別れを修習する。
「現在私が有している、親族や友人や財産や身体などの貴重なもの――これらを来世に持っていくことはできない。死とともに、速やかに別れ去るのである」ということを思惟するのです。