覚醒の太陽(5)
(Ⅲ)心の訓練
それから、次の心の訓練の詞章を唱えながら、自分の肉体、所有物、過去・現在・未来に積んだすべての功徳を、一切の衆生のために、一切の躊躇なく捧げることで、心を訓練すべし。
「これが、一時的そして究極的の両方の見地から、至るところに存在する衆生の無上の幸福の因となりますように」という心からの渇仰心を培うべし。
『すべての衆生の利益を成就するために、私は自己の身体と、財産と、快楽と、過去・現在・未来の三世に積んだあらゆる功徳とを、無頓着に捨て去る。
ニルヴァーナとは一切を捨て去ることである。そして私の心はニルヴァーナを求めている。もしニルヴァーナを達成するために一切を捨て去るべきであるならば、それを衆生に与えない手はない。
すべての生類に対し、この私の身は、彼らの欲するままにゆだねられる。彼らが常に我が身を打つもよし、ののしるもよし、ゴミをあびせるもよい。玩ぶもよし、嘲笑うもよし、ふざけるもよい。私は身体をもう彼らに与えてしまったのだ。どうしてそれに私が思い煩う必要があろう。
彼らに幸せをもたらす行為ならば、何なりとも、(私を使って)彼らはなすがよい。
しかし、いかなる場合でも、私のせいで誰かに不幸が起こるということがあってはならない。
もし私によって、人々に怒りの思い、あるいは清らかでない思いが起こったならば、それは彼らにおいて、常に一切の利益を成就するための原因となれ。
私を誹謗し、その他損害を加え、また嘲笑する人々――これらすべての人々は、覚醒にあずかる者たれ。
よるべなき者のよるべ、旅行者の隊長と私はなりたい。彼岸にわたろうと願う人々の船、堤防、橋となりたい。
すべての生類に対して、灯火を求める者のためには灯火となり、寝台を求める者のためには寝台となり、召使を求める者のためには召使となりたい。
衆生のために、如意珠、幸福の水瓶、成就のマントラ、大いなる医薬、如意樹、如意牛と私はなりたい。
あたかも全空間に住する無量の衆生に、地・水・火・風の元素が、様々に役立つように、――一切が(輪廻の苦から解放されて)静安とならない間は、空間に住するすべての衆生が私を享受しうるようになりたい。』