覚醒の太陽(16)
「ああ、心よ。汝は他と結合しているとの決心をなせ。全ての衆生の利益以外に、汝は他のことを考えてはならない。
彼に属すべきこの目等をもって、自己の利益を見ること等は、ふさわしくない。他に属する手等をもって、自己の利益を作り出すことは、ふさわしくない。
それゆえ、衆生のために心を一筋にし、この身において有用と認めるものは、その一つ一つを取り出して、他人のためになることを行なえ。」
自分の心に対して、「他と結合しているとの決心をなせ」と命令しています。「全ての衆生の利益以外に、他のことを考えてはいけない」と。
我々のエゴ、無明は、まず自分と他者をはっきりと分けます。境界線を引くわけです。もちろん、この自己と他者の境界線を打ち破り、自己と他者の同一性を悟れれば一番いいのですが、なかなかそう簡単にはいきません。「自分と他人は同一である。区別はない」という教えは、美しく、またそれを聞き、少し理解することによって、一時的に少し優しい気持ちになるかもしれません。しかし依然として自我への執着は消えてません。
それを実質的に変えていこうという強烈な方法が、「自己と他者の転換」なんですね。
まず、自己と他者の境界線がある。自己と他者がはっきりとわかれている。これはもうしょうがない。悟っていない以上、なかなかその境界線を取り除くことはできない。ならばその境界線はそのままにして、自分の心に対して、「自己」ではなくて「他者」の側につけと、命令しているのです。
さあ、もう今以降、私の全ては、衆生のものです。私の全ては、衆生の幸福のためにのみあります。
この目も、衆生のものですから、他人の目をもって、自分の利益を見るのはふさわしくないですね。それでは泥棒になってしまいます。だからただただこの目で、衆生の利益のみを探すのです。
この手も、衆生のものですから、他人の手をもって、自分の利益を作り出すのもふさわしくありません。だからただただ衆生の幸福を作り出すためにのみ、この手は使われるべきです。
このように、自分の中に、何かのためになるものを見つけたならば、その一つ一つを、自分ではなく、他者のためにのみ使えと、そのように確固とした決意をなせ、ということですね。
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