覚者の心の宝(終)
最初のパートは、この堕落した時代の生き方に対する、悲しみの演説である。
これは、わたし自身に対する叱責である。
この嘆きは、わたしに深く影響を及ぼした。
あなたも同じように感じるかもしれないと思い、今、それをあなたに与えた。
もしそうではなく、あなたが、自分の見解と瞑想が崇高であると自身を持っており、
世俗的なものと修行を結合する方法についての賢い考え、
そしてすべての衆生を救うための問題点を解決する手段、
もしそれらすべてをすでにあなたが持っているというのならば、お詫び申し上げます。
二番目のパートは、見解と瞑想についての論文である。――
もちろん、わたしはまだ経験も悟りも得ていない。――
わたしは単に、教えの美点についてのわたしの理解を提出しただけである。
全智者であられる父と息子の尊い系統のその教えを。
三番目のパートは、一切を放棄して修行することへのわたしの勧告である。
あなたは要点をとらえそこなうだろうが、それはまさにそれ自身で滑り抜けるだろう。
それは、ブッダ方と菩薩方の教えと、全く矛盾しないものである。
それを実践してくれるなら、本当にあなたに感謝しよう。
この「初め、中間、終わりの高潔な講話」は、
白い岩の勝利の峰の、シッダの洞窟において書かれた。
旧友の懇願に抵抗しきれなかったがゆえに、
五毒に焼かれた、このみすぼらしい老人、アブ・タルポによって。
わたしは無駄口をたたきすぎてしまったようだ。しかし、それがどうした?
わたしのテーマは、大いなる価値と的確な意味、そしてそこから生じる功徳を、
あなたと、三界のすべての衆生にささげることである。
この教えに触発されて、我々のすべての願いが実現しますように!
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