要約・ラーマクリシュナの生涯(36)「カーシープル(コシポル)のガーデンハウス」(1)
36 カーシープル(コシポル)のガーデンハウス
◎カーシープルへの移住
以前は効果をもたらしていた薬も効力を失い、ラーマクリシュナの病が刻々と悪化していくのを見て、サルカル医師は、カルカッタの汚染された大気がその原因の一つであると確信し、どこか郊外の別荘に移住するようにと勧めた。
その時点で、アグラハーヤナ月(11月中旬から12月中旬まで)の前半が過ぎていた。不吉とされるパウシャ月(12月中旬から1月中旬まで)に入ってしまうと、ラーマクリシュナは引っ越しを受け入れないだろうと考えた信者たちは、必死になって郊外の別荘を探した。まもなくしてカーシープル(コシポル)のマティ湖の北側に良い別荘を見つけ、借りた。
こうして1885年12月11日、ラーマクリシュナはカーシープルのガーデンハウスに移住した。花と果樹に飾られた庭園と新鮮な空気、そしてひっそりとした雰囲気をラーマクリシュナが喜ばれるのを見て、信者たちはうれしく思った。
カーシープルに移住してからもラーマクリシュナの病は悪化の一途をたどり、約八か月後の1886年8月16日、ラーマクリシュナは肉体を捨てた。
この最後の八か月の間、背が高く頑健であったラーマクリシュナの体は、やせ細って骸骨のようになった。しかしほんとんどしゃべることもできないような状態でありながら、小声で、また筆談によって、弟子たちに最後の教えや指示を与え続けた。
ラーマクリシュナは何度もこう言った。
「この世を去る前に、わたしのすべての秘密を明かして行こう。」
ラーマクリシュナをアヴァターラ(至高者の化身)と考える弟子はいたが、ラーマクリシュナ自身は自分をアヴァターラだと断言したことはなかった。しかしこの死の床にあって、ついにラーマクリシュナは、ナレンドラその他の一部の内輪の弟子たちに、自分がアヴァターラであることを明かし始めた。
また、このようにも言った。
「多くの人々がそれ(ラーマクリシュナの偉大さ)を知ってささやきあうとき、この入れ物(ラーマクリシュナの肉体)は存在しなくなるだろう。母の思し召しで、粉々になるだろう。」
「そのとき(闘病中に)、内輪とそれ以外の信者がはっきりするだろう。」
あるとき、日々の自分の食費が寄付を集めてまかなわれていることを知ったラーマクリシュナは、それを嫌い、偉大な信者の一人であったバララーム・ボースに、ここにいる間の食費を払うようにと命じた。
また、カーシープルのこの大きな屋敷の家賃を心配したラーマクリシュナは、敬虔な弟子で、ある程度経済的に余裕があったスレンドラを呼んで、こう言った。
「ねえ、スレンドラ。この信者たちはほとんどが貧しい事務員で、大きな家族を抱えている。この大きなガーデンハウスを借りる大金をどこで集めてこられようか。どうぞお前が全額を払っておくれ。」
スレンドラは喜んで合掌すると、「ご命令のままに」と言った。
またある日ラーマクリシュナは、やがて衰弱のために、自分で用を足すこともできなくなるだろう、と言った。これを聞いて信者たちは深く心を痛め、暗いムードになったが、そこにいた若い信者のラトゥは、恭しく合掌してこう言った。
「師よ、わたしがおります。わたしがどんなご命令にも従いましょう。わたしはあなたの掃除人です。いつでも控えております。」
この言葉は感動的で皆の胸を打ったが、同時にラトゥはいつものように舌足らずの子供のようにかわいらしく聞こえる訛りの強いベンガル語でこう言ったために、ラーマクリシュナと信者たちは笑い、暗いムードも吹き飛んだ。