要約・ラーマクリシュナの生涯(27)「ドッキネッショルを訪れた様々な修行者たち」①
27 ドッキネッショルを訪れたさまざまな修行者たち
◎さまざまなサードゥたち
ラーマクリシュナが住んでいたドッキネッショルのカーリー寺院には、まだ鉄道がひかれる前は特に、さまざまな宗派のサードゥたちが、聖地プリーへの徒歩の巡礼の途中で立ち寄っていたという。
ラーマクリシュナと交流した代表的な修行者たちに関してはすでに何人か記したが、ドッキネッショルを訪れたその他のさまざまな修行者について、ラーマクリシュナ自身が語った言葉によってそのいくつかのエピソードを記そう。
「ある時期には、ある種のサードゥが大勢ここに集まったものだ。偉大なパラマハンサ・サンニャーシンたちが来始めた時期もあった。食べ物欲しさにほっつき歩いている浮浪者とは違うのだよ。この部屋(ラーマクリシュナの部屋)はいつもサンニャーシンでいっぱいだったのだよ。昼も夜も、ブラフマン、マーヤーの性質、『アスティ(実在)・バーティ(輝き、智慧)・プリヤム(至福)についてなど、ヴェーダーンタが論じられたのだった。」
「サンニャーシンたちはこうした話題で熱い討論を戦わせた。当時の私はひどい赤痢を患っていた。しょっちゅう便意を催したので、フリドエが部屋の隅に便器をおいてくれた。腹痛を抱えながらも、私はヴェーダーンタに関する彼らの議論に耳を傾けていた。解決できない難問があると、聖なる母が私に簡単な解決法を授けてくださった。それを彼らに話してやると、論争は解消するのだった。」
「一人のサードゥがやってきたことがあった。その顔は美しい輝きを放っていた。ただ微笑んで一か所に座り続けていることがよくあった。朝夕部屋を出てくると、周りを見渡していた。樹木や空、そしてガンガーを見ると、両手をあげて喜び踊った。時折笑って、『見事だ! なんと愉快な! このマーヤーは何と素晴らしいのだろう! 神は何という幻影の魔術をかけられたことか!』と言っていた。それが彼の礼拝のやり方だったのだよ。神の至福を悟っていたのだ。」
「神聖な叡智に酔ったサードゥがやってきたこともあった。彼は食屍鬼のように見えた。裸で、体と頭はほこりまみれで、神と爪は伸び放題だった。上半身にまとっていたぼろきれは、墓場の死体からはぎとってきたようだった。カーリー寺院の前に立って神像に目をすえると、寺院全体がとどろくような声で賛歌を歌った。マーが喜んで微笑まれたように見えたのだよ。それから乞食たちがおさがりの供物を待っている場所に行った。ところがあんまりひどい身なりをしているので、乞食にまで嫌がられて追い払われてしまったのだ。その後で犬と一緒に葉皿が捨てられる汚い場所に座っているのを見た。片腕を犬に回して葉皿の残飯を分け合っていたのだ。見知らぬ男なのに、犬は吠えようとも逃げようともしなかった。彼を見た私は、自分もあんなふうになって、うろつきながら暮らすことになるのか、と怖くなったのだよ。」
「彼に会った後で、私はフリドエに言った。『これは尋常の狂気ではないのだよ。最高の神意識の狂気なのだ。』」
「パラマハンサは子供や食屍鬼のようにこの世に暮らしている、と聖典には説かれている。少年たちをそばに置かせるのは、子供のようであることを身につけるためだ。パラマハンサは世の物事に執着しない子供の性質を吸収するのだ。母親に新しい着物を着せてもらった男の子がどんなに大喜びするかわかるだろう。『その着物をくれないか?』などと言っても、『いやだよ。お母さんがくれたんだもの』と答えるだろう。そしてしっかりと着物をつかんで、取られないかと心配そうに見つめることだろう。一番の宝物に見えるほどだ。ところが次の瞬間、相手の手のひらに乗っている半ペニーもしないおもちゃを見て言うのだ。『それをおくれ。僕の着物をあげるから。』そしてまた少し経つと、そのおもちゃも捨てて花を摘みに駆け出していくのだ。着物にもおもちゃにもほとんど執着がないのだ。そしてこれがブラフマジュニャーニの状態なのだよ。」