要約「シクシャー・サムッチャヤ」(17)「菩薩の邪魔をする罪」
◎菩薩の邪魔をする罪
プラシャンタ・ヴィンシュチャヤプラーティハーリヤ・スートラ(寂静決定神変経)には、次のように説かれている。
「もしここに人がいて、人間界の一切の衆生の財産を奪い、命を断ったとする。
しかしそれよりも、菩薩に菩提心を捨てさせることの方が、はるかに罪は大きい。
なぜならば、菩薩に菩提心を捨てさせたことによって、未来際における一人のブッダの出現の邪魔をしたことになるからである。」
「もし、せっかく人間として生まれたのに、不誠実な言葉を語り、誹謗を楽しみ、乱暴な言葉を言い、嫌悪・怒り・憎しみに満ちて人を悩ますならば、この身が壊れ、命終わった後に、大地獄に落ち、もろもろの苦悩を受ける。もろもろの虫によってその身を食われ、蛇によって頭を食われ、火によって焼かれる。
永い間その地獄で苦しんだ後、やっと地獄から解放されるが、次に彼は巨大な毒蛇に生まれ、飢渇に駆られて他の生き物を食うが、全く満足することができない。
そこから死に、人間に生まれても、盲目に生まれ、智慧がなく、悪心を持って生まれる。聖者や賢者を敬わず、悪しき言葉を浴びせる。そして死後、再び悪趣に落ちる。」
「菩薩が他の菩薩に対して、障害を与えようという思い、あるいは不敬なる思いを持ち、あるいは誹謗するならば、多くのカルパの間、大地獄に落ちる。」
シュラッダーバラーダーナーヴァターラムドラー・スートラ(信力財入印経)には、次のように説かれている。
「もしここに人があって、すべての世界のすべての衆生たちに対して嫌悪・憎しみ・怒りの思いを持ったならば、闇の中に落ちていくだろう。
しかしもし菩薩に対して、ほんの一瞬でも嫌悪・憎しみ・怒りの思いを持つならば、その罪は遥かに大きい。
また、もしここに人があって、人間界の一切の財物を盗んだとしても、菩薩に対して一瞬でも罵倒の言葉を発する事の方が、その罪は遥かに大きい。」
「もしここに人があって、多くのブッダのストゥーパを壊したとしても、大乗を信じる偉大なる菩薩に対して嫌悪・憎しみ・怒りの心を起こし、罵倒・誹謗を加える事の方が、その罪は遥かに大きい。なぜならば、もろもろの菩薩からもろもろのブッダが生まれるからである。ゆえに、もろもろの菩薩を軽蔑することは、もろもろのブッダを軽蔑することになるのである。
同様に、もろもろの菩薩を恭敬する者は、もろもろの如来を恭敬したことになる。ゆえに、最上の供養をしたいと思う者は、常に菩薩を供養すべし。すなわちそれはもろもろの如来を供養することであるから。」
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