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至高者の祝福(4)「主の宇宙体の栄光」

第四話 主の宇宙体の栄光

 ブラフマー神は、続けておっしゃいました。

『過去・現在・未来におけるすべての存在は、至高者そのものなのである。主がこれらすべてに遍満されており、そしてこれらは、主の宇宙体の一部に過ぎないのである。
 すべての生命体、さらにカルマの法則をも、主は超越しておられ、不死の解脱の境地をも支配されておられる。それゆえ、その至高者の栄光を理解することなど、誰によってもそれは不可能なのである。

 聖典によると、二つの道があるといわれる。一つはカルマに支配される者の道で、輪廻に束縛されるゆえ、それは無明と呼ばれる。
 もう一つは至高者を思う者の道であり、悟りにつながるので、明智と呼ばれる。
 衆生はこのいずれかの道を歩むことになる。

 至高者はすべての世界と衆生を生み、それらの中に遍満しておられるが、同時にそれらすべてから全く別個に存在しておられるのだ。

 主の宇宙体のへそに生えた蓮華から、この私が生まれたとき、供養に使えるようなものは、まだ何一つ存在していなかった。
 そこで私は、供養に必要なものすべてを、主の宇宙体そのものから得て、至高者を供養し礼拝したのである。
 やがて時が至るや、聖仙、神々、悪魔、人間など、彼ら全員が、主を供養し礼拝したのである。

 属性を持たぬ至高者は、創造の夜明けに、ご自身のマーヤーを用いて、無数の属性を身に帯びられるのだ。そして至高者に支えられることで、この宇宙は安らかに存在できるのである。

 私はこの宇宙を、主に命じられるがままに創造した。そして主ご自身がヴィシュヌとしてそれを維持し、シヴァとしてそれを破壊されるのだ。

 親愛なる息子よ。これらがあなたの質問に対する答えである。この創造の中で、原因もその結果も、主以外には何も存在しないのである。

 私は偽りを述べることなく、また偽りの思いを抱くこともない。そして私の感官は、決して迷わされることはない。なぜなら私は永遠に、強い憧れをもって、シュリー・バガヴァーンを瞑想しているのだから。
 私は、祝福に満ちた主の御足に礼拝をささげよう。それはすべての吉祥が宿る場所で、帰依者に輪廻の終わりをもたらす所なのだ。

 至高者は、すべての者の中に真我として宿る、純粋なる絶対意識なのだ。
 主は常に真実で、完全であり、始めも終わりもなく、属性もなく、永遠で、ただ一者なるお方なのだ。

 ああ、ナーラダよ。瞑想に専念する者は、肉体と感覚と心をヨーガによって完全に支配したときにのみ、主を悟ることができるだろう。
 しかし利己的な詭弁的推理に頼るなら、主はたちまちその視界から消えられるだろう。』

 

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