終わらない確かなものを
人はいつ死ぬかわからない。
輪廻転生や死後の世界の有無については、人それぞれいろいろな考え方や理解があるでしょうが、
少なくとも自分と今のこの世界が、死とともに完全に切り離されるようだ、ということは、誰でも認識しているでしょう。
つまり今目の前にあるものは全部、なくなる。私にとっては。
なくなってしまうものにいま私は躍起になり、奔走し、あくせくしているわけだけど、
必ず死ぬということを前提に考えたなら、
今問題だと思っていることの九割は、どうでもよいことに思えてくるかも知れない。
それよりも、
この無常の定めの中で
真に自己がやるべき事
それのみに的が絞られてくる。
それは、多くの人にとっては、何なのか、わからないかも知れないが
自分の心に耳を澄ませば
結構わかってくることもある。
まあ、わからない場合も多いだろうが。
ヨーガや仏教の修行に励んでいる人にとっては、話は早い。
やるべき事は、とにかくその修行の確定だからだ。
というのは、(体操ではなく本当の意味での)ヨーガや、(哲学や儀式ではなく本当の意味での)仏教の修行の目的は、その「死んでも終わらない確かなる何か」の追求と確定であるといってもよいからだ。
今気が散っていることは、結構、どうでもいいことだぞ。
それよりも、神のみを愛し、神の意思を考えよう。(バクティ・ヨーガ)
真我の発見に全力を尽くそう。(ラージャ・ヨーガ)
自己の使命に耳を澄ませ、なすべき事を、エゴを入れずに全力を尽くそう。(カルマ・ヨーガ)
神聖なエネルギーを覚醒させ、この世を超えた至高の世界に突っ込もう。(クンダリニー・ヨーガ)
そしてすべての衆生の真の幸福のために人生のすべてを使おう。(大乗仏教)
まあ何にせよ、
今自分が、最高であると思うことのみに照準を絞るべきだ。
それが上記のようなヨーガや仏教の修行ならば最高だが
そうでなくてもかまわない。
とにかく悔いなく全力でやるのだ。
それができるチャンスは今だけかも知れないよ。
いつそのチャンスが消え去るかわからないのだから、
余力を残す意味はない。
明日死ぬかも知れないのだから、2012年がどうこうとかバカなことに心を費やさず笑、
アセンションとか何とかベルトとか曖昧なことを期待せずに笑、
君自身が、今日の君の人生を、余力を残さずに全力で誠実に生きるのだ。
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要約「シクシャー・サムッチャヤ」(27)「慢心の調伏」