yoga school kailas

私自身の本質であり、

 私自身の本質であり、けがれなく、生まれておらず、常に純粋な、
 無条件の自然発生の存在の輝きが立ち上る。
 それをどこか他で探すことのない、叡智と空の結合として理解する。
 そしてこのようにして、土台の完全な悟りに到達し、
 願わくば私が、道の精髄のポイントから逸れることがありませんように。 

 最初から純粋であるので、それには名前という見解さえない。
 それは反射的な認識であるので、真実は、原因の瞑想という覆いから自由になる。
 それは言及する点がないので、行為の束縛から自由である。
 本性の子宮の中で、それは裸の、労作のない状態である。
 願わくば私が、道の精髄のポイントから逸れることがありませんように。
 
 良し悪しの概念の両極端に落ちることなく
 そして、無関心というあいまいな状態に散乱することなく、
 生じることの解放は、平等で、開いている、広がった広がりである。
 受容と拒絶が枯渇した本性の完全な認識と共に、
 願わくば私が、道の精髄のポイントから逸れることがありませんように。

 原初の普遍的な土台のありさまは、空(そら)のよう
 土台の現れ、叡智は、空の雲が晴れていくよう
 外側の光の認識が内側に向けられるとき、
 六つの特別な性質を与えられた若々しい壺の身体の中に入る。
 願わくば私が、果の王城を獲得できますように。

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