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生の無常と真のダルマ

 『熟慮された格言集』には、次のように説かれている。

 明日も自分が生きていると、誰が知ろうか?
 今日すべきことは今日おこなえ。
 無慈悲な死神は、友達のように待ってはくれない。

 そしてナーガールジュナはこのように説いている。

 命は、千の病気という雪に揺らめき、
 流れる水の泡よりも壊れやすい。
 息を吐いて、次の息を吸えるかどうか、
 眠りにつき、明朝にまた目覚めることができるかどうか、
 全くわからない。

 一回の呼吸と次の呼吸の間に、死が忍び寄ってこないという保証はどこにもない。穏やかに眠りにつき、健康なまま目を覚ますというのはまさに奇跡的なことなのに、当たり前のように思っている。
 いつか死ぬということは知っているが、それでも今生きているということに対する姿勢はあまり変わることがない。未来の生活について希望を持ったり心配したりして長い時間を費やし、まるで永遠に生きるかのようである。
 わたしたちは安楽、幸福、地位などを得ようと苦労するが、突然、死に直面する。死は、縛り首用の黒い縄を握り、下唇を激しくかんで、牙をむく。
 そのとき、できることは何もない。軍隊の兵士も、支配者の法令も、金持ちの富も、学者の明晰さも、美人の魅力も、運動選手の敏捷性も、どれも役に立たない。貫くことのできない金属の鎧で胸を覆い、何十万もの強い男たちに鋭い槍や弓で武装させて守らせても、髪の毛一本を守ることも、隠れることもできない。死神がわたしたちの首に黒い締め縄を一度かけてしまえば、わたしたちの顔は青ざめ、目は涙で濡れ、頭と手足はだらりと垂れ、否応なしに次の転生へとまっすぐに引きずり込まれる。
 死はどんな戦士でも打ち倒すことはできないし、どんな権力者の命令でも立ち去らせることはできない。またどんなに金持ちでも、お金で立ち去らせることはできない。死に対しては逃げるところはなく、隠れる場所もなく、避難するところもなく、守り導く存在もない。いったん寿命が尽きれば、たとえ薬師如来でもそれを止めることはできない。
 このように真摯に考え、今のこの瞬間がどれだけ重要か、よく瞑想し、怠惰や先送りに決して陥ることなく、真のダルマを修行しなさい。真のダルマの修行者だけが、死の時に自分を救うことができる。

(クンサン・ラマの教え)

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