母なる神(6-1)
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母なる神は、唯一者であるが、様々に異なった様相をもって、私たちの前に立ち現れる。どんなに俊敏な精神をもってしても、唯一者である彼女の動きを追うことは不可能である。母なる神は、至高の至福者の意識にして力であり、自らが創造したもの一切を遙かに凌駕している。とはいえ、彼女の様々な具現者を通して、彼女のたどる道をいささかなりともうかがい知ることは不可能ではない。また、彼女のたどる道は、彼女自身が自らの被造物に向かって自分を明らかにすることに同意しているところの、女神という形態が示す気質や行為が、それだけ狭く限定されたものとなっているために、その分だけ把握しやすいものとなっている。
母なる神には、超越・普遍・個別という三つの存在の仕方があるのであるが、それらについては、私たちが、私たち自身と世界を等しく根底で支えている「意識ある力」に、まざまざとした一体感を覚えるようになった時に、初めて気づくようになる。
一つ目は「超越的な存在の仕方」である。母なる神は、至高の根源的シャクティとして、諸々の世界を超えて存在し、天地万物を至高者の神秘に結びつけている。
二つ目は「普遍的な存在の仕方」である。母なる神は、普遍的かつ宇宙的なマハーシャクティとして、すべての存在者を創造し、無数のプロセスと力のすべてをその懐に収めながらそれらの中に入り込み、それらすべてを支えながらそれらすべてを指揮監督している。
三つ目は「個別的な存在の仕方」である。母なる神は、上記の二つの存在の仕方が持つ力を一身に具現したものとして、私たちに身近な生命あるものとして現れることによって、神の本性と人間との仲立ちをしている。
◎超越的な存在の仕方
母なる神は、唯一の根源的・超越的な聖なるシャクティとして、諸々の世界を超えて存在し、自らの永遠の意識の内に至高者を抱えている。
彼女は唯一者であって、自らの内に「絶対の力」と「言語を絶する威厳」を宿している。
彼女は、顕現すべき諸々の真理を自らの内にふくんだり、自らの内に呼び寄せたりしながら、それらが隠されている神秘の領域から、自らの永遠の意識よりなる光の領域へと、それら諸々の真理を引き下ろして、自らの全能の力と永遠の生命を通して、それらに力の何らかの形態と身体を与える。
至高者は、彼女の内にあっては、不朽のサチダーナンダとしての姿、すなわち「真理の実在にして純粋智性、純粋智性にして至福なるもの」としての姿を永遠に明かしつつも、諸々の世界の内にあっては、彼女を通して「イーシュワラ・シャクティ」という一にして二なるものたる意識として、また「プルシャ・プラクリティ」すなわち「超自然的主体にして自然的客体なるもの」という二重の原理として顕現され、かくして至高者は、彼女によって諸々の世界と諸々の次元の内に、またすべての神々とそのエネルギーの内に具現され、彼女の故に、諸々の既知なる世界と諸々の未知なる世界の内に存在するすべてとして形象化されるようになる。
一切は彼女と至高者の戯れなのであり、一切は「永遠者」が示す神秘と「無限者」が宿す奇跡の、彼女自身による顕現なのである。一切万物はすなわち彼女自身であり、神の聖なる「意識ある力」の一部なのだ。一切万物は、彼女が至高者に動かされて感知した後、自らの創造の行為を楽しむ「至福(アーナンダ)」を通して種子の中に投げ入れて形成したものなのである。
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