感情の正体
体中の気を通していくようなヨーガや仏教の修行、そして心を静めていくような修行を続けていると、心の湖が静まり、整理されてくることによって、面白いことに気づく。
たとえば悲しみなどのネガティブな感情が出たとき。普通の人はその感情に巻き込まれるだけだが、その感情にじっと集中観察の力を向けてみる。
ここでいう集中観察とは、その感情の理由を分析することでもなければ、単に「悲しんでいる」などと実況中継することでももちろんない。
リアルに心を集中し、リアルに観察するのだ。言葉は要らない。実際に観るのだ。
これは少なくとも、雑念や心の問題(煩悩)がある程度静まり、気の流れもスムーズになっていないとできないと思う。
そしてこれに成功すると、「悲しみはただ悲しみであって、それは別に苦しいわけではない」ということに気づく。
その単純な悲しみという感情を苦しみへと展開させているのは、自分の様々な経験から来る心の習性であり、煩悩であり、雑念であり、心のとらわれであるということに。
そしてさらに集中観察の力を強めると--悲しみが歓喜に変わる。
悲しみ、怒り、執着--そういったネガティブとされる感情の本当の正体は、実は純粋な歓喜なのだ。
それらが「悪い」とされるのは、ほとんどの場合はそこから悪しき「展開」を行ない、純粋な歓喜を、無明に覆われた経験から来る識別の汚れで覆い、輪廻の感情に堕落させてしまっているからだ。
感情のエネルギーの正体、それは純粋な歓喜。
もちろん、エネルギーさえもすべて静まれば、それはすばらしい寂静の歓喜だ。
しかし寂静の歓喜も、エネルギーの歓喜も、どちらもすばらしいのだ。
悪しき展開さえ行なわなければ。
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