心は変えることができる
われわれは過去において、多くの悪業を積んできた。
また、過去世においても、計り知れない悪業を積んできたことだろう。
悪業は、二つの形で果報をあらわす。
ひとつは、自分が他に為したのと同様の苦しみの現象が自分にやってくること。
もう一つは、その悪業に関連する自分の心の汚れが増大することである。
現象だけでは、ひとは苦しまない。
苦の現象と、それを苦ととらえる心の汚れが合わさって、苦が成立するのである。
たとえば他人に「嫉妬の苦しみ」を味わわせた経験が多くある人は
自分も嫉妬してしまうような現象が多く起きるとともに、
そもそも自分の心が嫉妬深くなる。
これによってその人は、膨大な「嫉妬の苦しみ」を味わうことになる。
積んでしまった悪業は、消すことはできない。それは何らかの形で、必ず返る。
しかし心は、変えることができる。
自らの心の変革に成功したならば、
苦の現象が果報として返ってきても、苦しむことはない。
よって、霊的な力や、あるいは現実的な操作によって、いくら現象を変えようとしても、本質的には意味はない。一時的につじつまを合わせて逃げても、必ずその苦の現象はやってくる。
だからそんなことをするよりも、自分の心を変えることに励もう。
周りを変えることよりも、自分の心を浄化することに励もう。
苦しみから逃げずに、
苦しみを苦しみと感じなくなるような、
おおらかで慈悲と智慧に満ちた心を作ろう。
あらゆる苦しみの現象は、そのための訓練の場である。
なぜその現象を苦と感じるのか?
それは自分の心がけがれているからだ。
自分のけがれのポイントが、そこにあるからだ。
それを教えてくれた相手に感謝し
その苦から逃げるのではなく
その苦が苦でなくなるような、清らかな心を作ろう。
かならずできる。
なぜなら、もともとすべての人の心は、完璧に清浄なのだから。
「心は変えることができる」と確信して
その道を歩こうと決めたそのときから
もうすでにあなたは、苦しみの全滅の道に足を踏み入れている。
確固たる、不屈の信念を持って、われわれのふるさと、完璧に清浄な心への道を歩もう。
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