yoga school kailas

勉強会講話より「84人の成就者たち」第一回(4)

【本文】

「ディンカパ」

 
 ディンカパはブラーフマナで、シャーリプトラという地のインドラパーラ王の大臣でした。

 彼と王は輪廻に失望し、二人で火葬場にあるルーイーパの家に行き、門をたたきました。
 「どなたですか?」
 師ルーイーパが答えました。
 「王と大臣です。」
と二人は答えました。
 ルーイーパは、
「それでは中にお入りください」
と言うと、彼ら二人をチャクラサンヴァラ・マンダラでイニシエートしました。
 イニシエーションのお礼として、彼らは自分たちの身体を差し出しました。

 はい。まずここまで。はい、ディンカパ。この人はブラーフマナ――ブラーフマナっていうのは、さっき出たインドのカーストね、階級の、一番最高の階級です。つまり簡単に言うとお坊さんです。インドではそのお坊さん階級・ブラーフマナが最高なんですね。だからそういう意味では、階級のプライドが一番ある人といってもいい。で、まあ階級はお坊さんなわけだけど、職業としては王様の大臣をしていた。これがディンカパですね。
 で、このディンカパが、これも面白いわけだけど、王様と大臣二人で輪廻に失望して(笑)。これはだから優れた王と優れた大臣だったんだね。王と大臣が二人で、「やっぱ輪廻って――輪廻で王の喜びとかお金を儲けるとか求めてもしょうがないよな」と言ってお城を捨てて、二人で火葬場にいる大聖者と噂のルーイーパのところに行ったわけだね。で、そこでルーイーパはその二人を受け入れ、まあ「チャクラサンヴァラ・マンダラでイニシエート」って書いてあるけど、簡単に言うとチャクラサンヴァラといわれる修行法の伝授を行なった。で、ここが大事なわけだけど、「イニシエーションのお礼として、彼らは自分たちの身体を差し出しました」。
 つまりこういう、なんていうかな、大聖者になる人っていうのは、これだけの覚悟があるんだね。つまり教えを――ちょっとリアルにいうとですよ――秘密の教えを一個与えましょうと。その修行法、それは――まあ例えばですよ、Tくんが例えばカイラスに来て、「先生、修行教えてください」と。で、わたしが「じゃあ偉大なムドラーを教えましょう」って言って、ムドラーを教えたと。で、わたしが、「よし、じゃあムドラー教えた代わりにあなたの体を差し出しなさい」と。そう言われて、「はい、分かりました」と。それは偉大な悟りへの道であるムドラーを教えてもらったから、体を差し出しますと。体を差し出しますってどういう意味かっていうと、つまりまあ、もう好きにしてくださいっていうことです。つまりもしわたしがそこで、「じゃあちょっとアジアに行ってきて内臓取って売ってこい」って言われたらそうするわけです。例えばだけどね(笑)。あるいは、「あなたじゃあ一生タダ働きしなさい」って言われたらそうするわけです。つまりそれだけの、なんていうかな、価値を、真理の教えっていうものに対して抱いてるんだね。
 これと似た話は、まあ前にもしたけども、お釈迦様の過去世の話である。お釈迦様が――ちょっと簡単に言うとね――お釈迦様が過去世、つまりお釈迦様として生まれるもっともっと前のときに、ヒマーラヤの修行者だったときがあった。でもそのころはこの地球に一切真理の教えがない時代だったらしいんだね。で、お釈迦様はヒマーラヤに生まれて一生懸命修行してたんだけど、真理の教えがないから、なんかどうやったらいいか分からない。それから、悟りがなかなか開けない。で、一人で孤独に修行してたわけだけど。で、それを見たある神が、「あの男は――つまりお釈迦様のことだけどね――偉大な菩薩だ」と。「しかしほんとのほんとに偉大な菩薩なのか試してみよう」っていって、その神が怪物の姿をしてお釈迦様の前に現われたんですね。で、怪物の姿をして現われて、一言だけ――一言っていうか半分だけ教えを説いたんだね。半分だけ教えを説いて、で、それを聞いたお釈迦様がキョロキョロ見渡してね、「一体今の真理を説いたのは誰だ?」と。「もう全くわたしは聞いたことがない素晴らしい真理を聞いた」といって見渡したら、その怪物が言ってたっていうのが分かった。で、お釈迦様はその怪物に礼拝して、「どうか残りの教えも全部説いてください」。で、その教えっていうのはほんとにもう一言なんです。一言なんだけど「最後のその一言を聞かせてください」と。そしたらその怪物が言うには「それはいいんだけど、わたしは今相当腹が減っていて、なかなかその教えを口にすることができない」と。そしたらそのお釈迦様が――過去世のお釈迦様がね――「いやそんなことでしたらなんでも供養しますからなんでも言ってください」と。そうすると怪物が言うには「わたしの食べ物は人間の体だ」と言ったわけですね。そしたらお釈迦様は全く驚かずに「あ、そんなことですか」と。どうぞどうぞと。「教えを与えてもらったあと、わたしの体を差し出します」と言うわけだね、簡単に。で、そこでその怪物は、まあほんとは神なんだけど、お釈迦様にその教えを説いた。で、その教えを聞いたお釈迦様は感動して、しばらくその教えの素晴らしさに浸って、で、あとはもう約束どおり自分の体を差し出すから、できるだけ多くの人がこの教えに触れられるようにと思って、そのヒマーラヤのいろんな岩とかにその教えを刻みつけたわけだね。で、ある程度それが終わって準備が整って、「さあ、じゃあ約束どおりわたしの体を差し出しましょう」と言って崖から飛び降りたわけですね。ただその怪物は実際は神だったので、最後は神の姿を現わしてお釈迦様を受け止めて、まあすべてを明かすわけだけど。
 つまりこのときのお釈迦様の物語も、ね、考えてみてください。教えを受けました。ね。そしてまあ三十分か一時間か分かんないけど、三十分か一時間後にはもう体を差し出す約束をしてるわけです。でも三十分でも一時間でも、その教えの素晴らしさを味わいたい、そしてそれを例えば石に刻みつけて、みんなに知らせたいと。それだけのために自分の命を捨ててるんだね。で、そこに、この物語に表わされてるように、お釈迦様はなんの躊躇もない。ね。「あ、それでいいんですか」っていう感じで体を差し出してる。つまりこれだけ昔の、なんていうかな、道を求める人たちの決心っていうかな、気持ちっていうのは強かった。それからその学ぶ者としてのその意識っていうかな――っていうのが強かったっていうことだね。
 だからこの王様と大臣も、まあ一つの修行法を伝授された。現代の合理的な考え方からいえば、え、それだけで体を差し出すのは割に合わないんじゃないとか言う人も多いかもしれないけども、でも彼らにとってはそれはもう、当たり前のことだったわけだね。それだけ素晴らしい真理を教えてもらったからには、わたしはわたしの身体を差し出しましょうと。

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