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勉強会より 解説「シクシャー・サムッチャヤ」⑦(1)

20110528 解説「シクシャー・サムッチャヤ」⑦

◎言葉にならない心の指針

 はい、今日は「シクシャー・サムッチャヤ」ですが、その前に二、三ちょっと話をすると、今の歌の修行とかもそうだけど、例えば今の『クリシュナ・クリシュナ』なんかもそうなんだけどね、例えばわたしも――みんなもそういう人いるかもしれませんが――なぜか泣けてくると。で、なぜ泣けてくるのかっていうのがちょっとよく分からないと。「クリシュナ・クリシュナ」しか言ってないんだけど(笑)、つまりわれわれの概念的に思想的に訴えかけるものがあるわけじゃないんだけど、クリシュナの名前だけで泣けてくると。あるいはある場合はラーマの名前だけで泣けてくると。あるいはそうですね、何らかの神の姿や写真を見ただけで、何か心が惹かれたり感動したりすると。
 で、われわれにとって実は最も大切なことが、そういうことなんだね、本当はね。うん。われわれの概念的な頭で教えを理解する。それはもちろん素晴らしいことなんだけど、より皆さんにとっての宝物っていうのは、やっぱりそれなんです。
 それは皆さんが前生から――例えばクリシュナとかラーマで泣く人っていうのは、そのような神の信仰の道をひたすら前生から歩いてることを現わしてる。
 あるいは別パターンでいうと、教えに出会ってすごく泣けてくる人もいるよね。例えば仏教、シャーンティデーヴァや、バガヴァッド・ギーター等の教えの素晴らしさに出会って、もう感動で打ち震えると。これも皆さんが過去世からそのような真理と縁があり、何度も何度も感動してきた証拠なんですね。
 そのような、皆さんが心の奥に持っている本質的なポイントにしっかりと触れ、それを育てていくこと。これが最も大事なことなんだね。
 ところでこういう話をすると、よくこういう問題が出てくるよね。つまりそれは――メダサーナンダさんもそういうこと言ってたけども、あるいはこないだのSさんの質問とかにもあったけども――そうなると理論はどうなるんですかと。つまり理論的なものも大切だと。そんな単純に信仰とかバクティとか神とかじゃ駄目だっていう話があるわけだけど――もちろんそうです。もちろんそうだけども、皆さんは大丈夫です(笑)。
 つまり何を言いたいかっていうとね、ちょっとわたしがこういうこと言うとあれなんだけど、カイラスほど教えの真髄のポイントを緻密に学んでるところはありません。これほどしっかりとポイントとなる貴重な教えを提供しているところはないと思う。わたしがいろいろ見てきた中でね。
 仏教の伝統的な体系っていうのはすごく整備されてるけども、それは逆にわたしは無駄が多すぎると思う。何か空がどうこうとか中道がどうこうっていうのを何年もかけて学ぶわけだけど、そんな必要はないっていうかな。やっぱり人生は短いわけだから、ポイントとなるエッセンスをしっかりと押さえといた方がいい。
 でもわたしは本当にそう思う。わたしは例えばさ、逆に感動するときあるもん。感動するときあるっていうのは、ちょっと変な言い方すればですよ、何て言うかな、カイラスの皆さんってさ、ちょっとほわーんとしてね、面白い人が多いと。で、「この人たち分かってんのかな」みたいな人が多いわけだけど(笑)、たまにその中の一人二人と話したりメールで話したりすると、バシバシバシってこう真髄をついた言葉が返ってくるわけだね(笑)。「お! 教学してる!」と(笑)。「しっかりとこの子分かってるじゃん!」と。「なんだ、分かってたの」っていう感じで(笑)、もちろんそれは前生からのものもあるんだろうけども、だからわたしはそういう意味では頼もしく思ってるんだね。
 頼もしくっていうのは、もう一回話を戻すと、皆さんは決して、よくバクティの過ちといわれるような、ただ「神、神」と言ってて心が全然調御されてないとか、教えが全然ないとか、そういうふうには多分陥らないと思うんだね。ベーシックな部分としてかなり教えが詰め込まれてるから。あるいはちゃんと加行とかもらってる人は当然、その加行の中にもひたすらいろんな教学が入ってるわけだし。
 あるいはこの勉強会でも、もちろん長くいる人は分かると思うけども、こんなところないですよ(笑)。毎週テーマが変わって(笑)、何年にもわたっていくつものテーマが繰り返されるっていうかな。で、表面的なところだけではなくて、かなり突っ込んだ教えが展開されるっていうかな。それは皆さん自信持っていい。
 で、その上に、何度も言うけども――いや、その積み重ねた教えよりもさらに大事なものとして、バクティがあるんですよと。それは何度も言うけども、言葉にならない。つまり例えばクリシュナと聞いただけで涙が出るような、その部分をあなたはもっともっと開発しましょうと。それなんですよと。
 本当にこれはだから言葉にはできない。この言葉にはできないものを、瞬間的にしろあるいは数回だったにしろ、経験できる人っていうのは素晴らしいんだね。素晴らしい宝物を持ってるんです。それはしっかりと、それこそをみなさんの第一の目的としてね、その部分をしっかりと育てるっていうかな。そこさえつかんでれば、そこからさえ離れなければ、何の問題もありません。何も心配することはない。
 だからこれを――ちょっと曖昧な言い方だけども――皆さん、一つの心の指針として欲しいですね。

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