yoga school kailas

修行の方法――念正智

ヨーガスクール・カイラス 勉強会より 抜粋

2007.2.3「修行の土台、方法、目的、結果」

※いずれ全文をまとめて本にする予定ですので、ご期待ください。

◎修行の方法――念正智

 はい、そして方法。ここでいう方法っていうのは、もちろん修行法っていろいろあるわけだけど、結局のところ、最も重要なのは、この間も言ったけど、念正智です。念正智ね。
 これは何度も出てきてるね。『入菩提行論』でもたくさん出てきたけども、念正智。ここでいう念正智っていうのは、まず教えがあって、その教えを、さあいかに二十四時間心から離さずに生きるか、なんだね。ここでいう念正智はね。
 つまり、どんなに素晴らしい教えがあっても、あるいはどんなに素晴らしい瞑想の経験があっても、その時だけで終わってたらしょうがない。例えば「ああ、これ素晴らしい教えですね」と。「はい、ありがとうございました」と(笑)。で、全然違う生き方をしてる人(笑)――とかね。あるいは瞑想入ってすごい経験をした、と。私は真実を知った、と。で、瞑想から出たら、普通にもう汚れた生き方をすると。これではしょうがない。
 だから学んだこと、あるいは瞑想で経験したこと、あるいは修行してて気づいたこと、これをそこで終わらせるんじゃなくて、例えば――まあ私はよくこう見てるとね、いろんな人が「ああ、先生気づきました」と。「これはこうこうこうじゃないですか」と。「ああ、それは正しいかもしれないね」と。でもその人の生き方はあまり変わらないと。これじゃ駄目なんだね。
 気づいたこと、学んだこと、経験したことを、さあ、じゃあこれから実践しようと意志しなきゃいけない。――なぜかっていうと、意識的にそれをやらない限り、われわれの心とかわれわれの行動っていうのは、自動的に過去のカルマの総和によって動かされてるロボットみたいなものなんだね。
 つまりわれわれは今修行してて、ちょっといい教えを学んだり、ちょっといい経験をしたりしてる。でもこれは、われわれのはるかな過去からのデータバンクの中ではほんのちょっとなんです。負けるんです、普通は。意識しないとね。意識すれば勝てるんだけど。意識してないと、もう膨大なそうじゃない考え方、そうじゃない過去のカルマがいっぱいあるから、放っておくと、教えに集中してるときはいいんだけど、してないときは、もういろんな悪い考えが出たりとか、否定的になったりとか、邪悪になったりとか、で、実際にそういう行動に出たりとか、してしまうんだね。
 だからそれは、もう、監視員を心の中に置くんです。監視員を置いて、自分の心をチェックして、その変な過去の悪いカルマの流れに巻き込まれないように、そうじゃなくて君はこれで行かなきゃいけないんだよ、と。一瞬たりともそれから目を離しちゃいけないよ、と。これが念正智だね。
 念正智っていうのは、大雑把なカテゴリーだけど、それは何の念正智かっていうのはまた別問題です。それはまあ、それぞれの課題があるだろうし、あるいはそれぞれの学んでる教えがあるだろうし、それぞれパターンがあるね。
 例えばバクティ・ヨーガが好きな人は、全ては神の愛である、と。神に心を開かなきゃいけないと。これを忘れないようにする。
 あるいは例えば仏教的に、全ては無常であるとか、あるいは全ては原因と条件と結果の連続に過ぎないとか、それを念正智してもいいし。
 あるいは、衆生への慈悲とか、さあいかに人々の幸福を願おうかと。さあ私はいったい慈悲を発してるだろうかと。私の行動っていうのは人々のためになってるんだろうかと。それを日々一瞬たりとも忘れずに考えるでもいい。
 それは、中に入るのは何でもいいんだけど、そのような正しい思い、正しい行動、これを常に持続させる。これが、修行の方法です。
 だからこれもさっきの目的と同じで、例えば一日一時間くらい時間をとって懸命に修行すると。で、修行した気になってると。で、他の二十三時間は邪悪に生きてると(笑)。これじゃ全然駄目だからね。だからそういう人がやってきて「私はもう一日一時間すごい修行をしてるんです」。それで二十三時間は邪悪に生きてたら、それは修行してるとはならない。
 だから例えばね、こう座ってみんながこういうとこで修行するときっていうのは、ある意味で「準備」なんです。本番は――変な言い方だけども、修行してないとき(笑)。何で修行してるんですかっていったら、修行してないときのために修行するんです(笑)。つまりこういうふうにしっかり修行したり、教えを学んだりっていうのを集中的に行えば、修行してないときにちょっとはそれがね、やりやすくなる。よって、修行するんだって考え方もできる。
 だから本末転倒にならないようにしなきゃいけない。結局われわれは本質的に自分を変えていかなきゃいけない。修行って方法論――例えばただ呼吸法をやればいいってもんじゃない。それによってわれわれの体や心が変化して、まあ最初は体から変化して、で、心も変化して、っていうふうにだんだんなっていくのが、われわれの修行の目的だから、それをまた外さないようにしなきゃいけない。

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