ヴリンダーヴァン
最近、今までと比べて日記をほとんどアップしてないようですがという心配の声を何人かの方からかけて頂きましたが笑、特に何かあったわけではなく、しいて言えば、ここ数日、チャンダーリー(クンダリニー・ヨーガ)系の、エネルギーを上昇させ、甘露を落とす修行に励んでいました。
この修行は、初心者はイメージから始めますが、正しく修行していると、本当に物理的に生命エネルギーが覚醒し上昇し、甘露(アムリタ)が発生し、チャクラおよび中央管および各気道を、強烈なエクスタシーとともに満たしていきます。そしてそれとともに多くの神秘的な体験と、心の変化や気づきが生じます。
このエネルギーの上昇と甘露の下降を、一時間ごとに100回ほどおこなうことを自分の課行として決めたのですが、ただイメージでおこなうだけなら100回というのも大したことはないのですが、実際に甘露を落としているとエクスタシーと様々な経験が生じるので、それに没入していると時にはなかなか進まず、気づいたら一時間たっていて笑、結局一日中そればっかりやっているような感じでした笑。
そして今回この修行において目標としていたラインを、今日、ある程度達成したので、またぼちぼち経典その他の日記をアップしていきたいと思います。
さてまずは、つい先ほどの出来事を話のきっかけとして、つれづれと書いてみましょう。
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先ほど、ヨーガ教室のインストラクターと話をしていて、「ヴリンダーヴァン」という単語が出てきたとき、頭の中に、独特の歓喜とともに稲妻が走った。
「ヴリンダーヴァンを忘れていた!」
何か、特別なサインによって、とても大事なことを思い出しそうな感覚。
そして同時に、このような感覚は今まで何度も経験してきたということを思い出す。
ヴリンダーヴァンとは、クリシュナが若き日を牧童の友達と過ごしたインドの地名だが、実はヴリンダーヴァンはこの宇宙の唯一の本質であるブラフマンのさらにその奥にあり、そこではクリシュナが牧童たちと踊り、遊んでいるのだという。
また、今でもインドのヴリンダーヴァンでは、クリシュナが牧童と遊んでいるのが、わかる人にはわかるのだと、ヒンドゥー教のある一派は考えている。
一見、突拍子もない話だが、私はこの話を最初に知ったとき、直感的に「これは真実だ」と感じだ。
私の経験では、あまり概念的・論理的な思索に走りすぎると、たとえばこの「ヴリンダーヴァン」のような真理は見失ってしまう。
今回書いていることは非常に微妙な話なので、あまり細かい説明や突っ込みは入れないことにして、ポイントだけ書くが、
このような真理をつかむために必要なのは、頭の良さでもなく、知識でもなく、
「純粋な心」である。
そして呼び覚ますための「サイン」がある。しかしこの「サイン」に出会っても、純粋な心が成立していないと、この気づきや悟りは発動しない。
私は、いつも言うように、小学生の頃から仏教書を読み、中学生の頃から様々なヨーガ等の修行に励んできた。
その上で、修行や真理の探究に励む皆さんへのアドヴァイスを送りたい。
もし本当に真理をつかみたいなら、多くの本を読んだり、哲学的思索を追求するよりも、
心を純粋にすることに励むことだ。
善き師に従うことだ。
そして神やブッダへの、燃えるような信仰心を、純粋に持つ事だ。
謙虚になることだ。
心の純粋さと、本当の意味での「信」は、すべてに打ち勝ち、すべてを救うだろう。
この「本当の意味での信」というのが難しい。いや、本当は難しくないのだが、現代人の固い頭にはけっこう難しいようだ。これは実は「信じる」ということとは少し違うのだ。言葉遊びのようになってしまうが、「信じる」と「信」は違うのだ。
「信」とは、もともと我々のこころの奥にあるものであり、作るのではなく呼び覚ますものであり、そこには何の理由も、保証も、見返りもいらないものなのだ。
そしてこの「信」あるいはそれに近いものに目覚めても、それで終わりというわけではない。まあやっと本当のスタートラインに立ったようなものだ。
この純粋な「信」、そしてそこから生じる、神やブッダへの強烈な希求心。これがスタートなのだ。
そしてここから、修行者の、全人生をかけての努力、精進が始まる。
この宇宙は、「あのお方」以外は、すべて幻である。
すべては神の愛であり、すべての出来事は修行であり、すべての人々は神の使いである。
このように考え、「自分は何も知らない無智な者である」という謙虚さを忘れずに、真実をつかむために、心の純粋化と他の修行に、休まずたゆまず、全力で邁進するのだ。
このような心を忘れさせようとする悪魔の誘惑が、この人生には多い。この悪魔の罠は、時には「真理の教え」の形を借りてさえもやってくる。
だから気をつけなければいけないのだ。「心の純粋さ」と「神やブッダへの純粋な信」が、生命線である。それを忘れずにいてほしい。
今目の前の「修行」に、全力で励め。
死ぬまで励め。
死んでもまた励め。
「自分は大事なことを忘れていないかな?」と常にチェックせよ。
そしていつか、ヴリンダーヴァンで一緒に、歌い踊ろう。
ところで我々は実は、必要があって、ヴリンダーヴァンのことを忘れて、この世に生まれてきている。
それは神の計画によって、この世界で様々な役割を果たさなければいけないからだ。
ヴリンダーヴァンのことを、真実を思い出してしまうと、それ以上、劇が続けられなくなってしまう笑。
しかし我々は、忘れすぎにも程があるのだ笑。あまりに役にのめり込みすぎてしまったのだ。
だから少しは思い出さなければならない。あなたが実は、あなたが考えているあなたではないことを。この世のすべては神の遊びに過ぎず、その背景には無限なる愛があることを。
この一見突拍子もない日記が、たとえほとんどの人の目に「いい加減な戯言」と映ったとしても笑、もし誰か一人にとってでも「サイン」となってくれたとしたら、私はとても幸せです。
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