ラームチャンドラ・ダッタの生涯(10)
一八八五年の五月に、ラームは自分が書き留めたシュリー・ラーマクリシュナの重要な教えのいくつかを編集し、『タットヴァサーラ』と題されたベンガル語の本を出版した。しかし少数の信者達がこれに異議を唱え、師へそれを報告した。
シュリー・ラーマクリシュナはある日、ラームをそばへお呼びになり、仰った。
「ねえ、何人かの信者が、おまえが出版した本のことを教えてくれたよ。なんて書いたんだい?」
ラームは、彼(シュリー・ラーマクリシュナ)の教えのいくつかをまとめ、それらを編集して本にした、と返答した。ラームは次に、そのいくつかを読んで師に聞かせた。師は仰った。
「おお、おまえがその教えを書いたのかい? 非常に素晴らしい。
聞きなさい。もしおまえがそれを自分が書いたと考えるなら、ほんの少しの尊敬を他者から受けるだろう。しかしもしおまえが、主が自分を通して働いていらっしゃると考えるなら、それは大いに売れるだろう。」
そしてシュリー・ラーマクリシュナはさらにラームに警告なさった。
「すぐにわたしの伝記を出版してはいけない。もしそうするなら、わたしの身体は長くはもたないだろう。」
ラームは(師の警告に)従ったが、師の逝去ののち、初めての師の伝記である『シュリー・シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサ・デーヴァラ・リヴァンヴリッタンタ』を書いた。
のちにラームは『タットヴァサーラ』の内容を増やし、『タットヴァ・プラカーシカ(シュリー・ラーマクリシュナの教え)』と題して出版した。
彼はまた師の教えを広めるため、『タットヴァマンジャリ』というベンガル語の雑誌の出版を始めた。
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