ヨーガの基礎(6)
◎精神的な病について
(質問者A)すみません、質問いいですか?
はい。
(質問者A)ちょっと精神科とかカウンセリングとか携わったことがあるんですけど、逆に病院に入っているような人だと、自分がどっかにいっちゃってる感じの、何ていうんですか、こっちから見ると、もう話しかけても独り言をずーっと言ってたりとかする状態の人っているじゃないですか。そういう人たちはエネルギー的には、どんな感じに説明ができるんですかね? 日常的にそうなっちゃっている人――何ていうか、ある意味で「わたし」っていうのがないように見える状態っていうのは……
それはケースバイケースなので非常に難しいんだけど、わたしのヨーガ教室に来ている人で、もともとうつ病で、かなりの量の薬漬けになっていた人が、ヨーガ修行によってうつ病が良くなり、薬を完全にやめた人が何人かいます。で、そういう人たちを見ていると、もちろんケースバイケースなんだけど、実際は修行者として、つまりヨーガ行者としての才能が高い人が多いです。全員じゃないよ。いろんなパターンがあると思うけど、才能が高い人も実は多い。
ちょっと本当にこの話っていうのはケースバイケースなので、ひとつの話として聞いて欲しいんだけど、なぜこういうことをやらせるのかにもかかわってくるんですが、さっきも言ったようにヨーガ修行っていうのは、もちろん最初の段階では健康になります。で、こころはとても幸せになります。ここで終わりでも全く問題はない。でも、もっと深く入るヨーガ修行の場合は、われわれの本当に奥の奥に入っていくんです。心の奥の奥に旅します。で、最終的には悟りであるとか、解脱であるとかいう境地に行くわけだけど。
そのよく聞く悟りとか解脱っていうのは生半可なものではなくて、本当にわれわれが覆い隠している心の奥の奥の世界と対峙しなければいけません。それはものすごい恐怖だったり、あるいはものすごい心が狂いそうなときもあります。そういうのを乗り越えて真実の世界にたどり着こうとするんだね。
で、その途中段階で、例えばあまりこういう戒律を守っていなかったり、あるいは――ちょっとまた話が広がっちゃうけど――徳を積んでいなかったり、あるいは精神的にいろんなけがれが多かったりすると、非常に精神のバランスを崩してしまう場合があるんだね。
ちょっとみなさんは輪廻転生とか信じるかどうかはわからないけど、まあヨーガではもちろん輪廻転生っていうのを前提としているんですが、輪廻転生があったとして、前生でたくさん修行してましたと。それによって非常に深い意識に入っていますと。しかしですよ、日本に生まれました。今の日本っていうのは、心のきれいな、前生で修行をいっぱいしてきて――つまり修行してきて深い意識に入ってるってことはどういうことかっていうと、表層の表面的な意識が薄いっていうことです。つまり、もうちょっと別の言い方をすると、かなり素直だっていうことです。それによって、この日本の社会で十年二十年って生きると、ちょっとおかしくなります。
つまり逆に言うと、そっちの方が正常なんです。正常すぎておかしくなるんだね。そういうパターンの人を、わたしは結構見てきた。そういう人っていうのは、いろいろ変だったりするんだけど、実際にヨーガとかやっていくと、心が落ち着いてくると、もう稀にみる素直な人だったりとか優しい人だったりする場合があるんだね。そういうパターンはひとつあります。
で、またちょっと別の話をすると、その「わたし」がないようになっている人っていうのは、「わたし」がないようになっているわけじゃない。「わたし」がもしなくなってしまったら、それは悟りです。逆に言うと、その人のその時点においてはですよ、逆に自我が強まっているんです。自我が強まって、自我が織り成す迷妄というかな、幻みたいなところに完全に入り込んでるんだね。
これもちょっと深い話になっちゃうけど、簡単に言うと、ヨーガとかにおいては――簡単に言うとですよ――今みなさんがここにいますけども、みなさんが今ここに現実としていると思っているこの世界は全部幻だって言い切ってる。
よくこれは哲学でもいわれる話だけど、例えばEさんがね、Eさんが昔、生まれましたと。しかしEさんは病気にかかってて――そういうことが実際あるかどうかは別にして――脳だけを取り出されましたと。で、肉体は駄目になっちゃいましたと。脳だけ取り出されて、研究室で電極を刺されて、脳だけ生かされてますと。で、Eさんの今までの二十年三十年の人生っていうのは、その研究室で脳が見ていたただの夢に過ぎない――というような説があったとしてね、この話を、「それは絶対にあり得ない」と言えるだけの証拠はどこにもないんだね。
これはここにいるみなさんもそうだけど、わたしが今まで歩んできた二十年三十年の人生は幻であったということを覆すだけの証拠はどこにもない。例えば、「わたしのお母さんが証人です」って言っても、この人も幻の中の登場人物だから。
で、こういうことを、よく中国の故事とかでもあるよね。そういう似たような話がね。「胡蝶の夢」とかもそうだし、いくつかありますが。
で、ヨーガではそれを完全に幻だと言い切ってる。で、その大きな幻と呼ばれる中で、われわれはいろんな苦悩を味わったり喜びを味わったりするわけだけど、それも全部幻なわけだね。その自我意識が強ければ強いほど、そこに結び付けられるんです。
つまりちょっと、この話が伝わるかどうか分からないけども、われわれが自我意識が強いほど、自分の過去の経験にとらわれます。過去の経験にとらわれることによって、心の識別作用みたいなものが狭まります。狭まるっていうのはどういうことかっていうと、「こうなったら、おれは苦しい」「こうなったら、おれにとってはこれは価値がない」っていうのが、ものすごくガチガチになるんだね。その自我が強ければ強いほど、それは強まるんです。
で、逆に言うと、ヨーガとかやってその自我意識が弱まってくると、かなり幅ができるんです。どういうことかっていうと、結構客観的に見て苦しそうでも、「いや、これはおれは神の愛だと思うよ」って、全然苦しくなかったりとか。例えば誰かが意地悪してきても、「いや、彼にもきっといいところもあるよ」と。これだけの心の余裕が出てくる。つまり、自我とか自分の識別とか観念とかに対する結びつきが弱まってきます。
で、精神的な病で苦しんでいる人の場合、その理由はどうあれ、現段階において、その自我と観念的なものの結びつきが強くなっているとは言える。理由はどうあれっていうのは、さっき言ったように、本当はその人は素直なんだけど、素直すぎてそうなっている場合もあるし。あるいはさっき言ったように、神経の問題。つまり副交感神経が優位になりすぎて、そういった物理的な問題としてうつ状態になっている人もいる。それはだからケースバイケースなので、一般論としては言えないんだけども。
ただし、それが「わたしがない」とか「自我がない」ということではない、ということはいえるんだね。いいですか?
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