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ミラレーパの試練、苦悩というチャンス

 ミラレーパはお金持ちのお坊ちゃんとして豊かな生活を送っていましたが、まだ子供のころに父親が死に、残された家族はひどい親戚たちに財産を奪われ、乞食同然にこき使われる生活を送ることになります。
 そして自分たちをひどい目に合わせた親戚たちを深く恨んだミラレーパの母は、ミラレーパに魔術を習わせ、復讐しようとします。
 もともと瞑想家としての素質に優れていたミラレーパは、魔術の秘法を難なく体得し、母の願い通り、自分たちをひどい目に合わせた親戚たち三十数名を、魔術によって殺してしまうのでした。
 深く考えることなく母親の命令によってこれらを為したミラレーパでしたが、自分が積んでしまった悪業に恐怖し、また同時に真理の教えを強く求めるようになります。

 その後、ミラレーパは深い縁のあるグル・マルパの弟子になります。マルパは最初から、ミラレーパが自分の一番弟子となりうる縁のある優れた弟子であることは見抜いていましたが、ミラレーパはその時点で上記のような深い悪業を積んでしまっていました。

 カルマ理論からすると、そもそもミラレーパが親戚からひどい仕打ちを受けたのも、母親の命令とはいえその親戚三十人以上を殺害するというひどい悪業を積んでしまったのも、ミラレーパ自身のカルマです。つまり肉体的・精神的にひどい被害を受ける・ひどい加害を為すというカルマの輪の中にいたわけです。
 もしミラレーパがグル・マルパの祝福を受けて真理の道を歩まなかったならば、彼は今後も、また何らかのひどい仕打ちを誰かから受け、また自分もひどい仕打ちを誰かに返すことになったでしょう。それが終わりなきカルマの輪です。
 偉大なるグルであるマルパはいわば、ミラレーパのこの悪業を逆利用することにしました。ミラレーパに対して、徹底的な肉体的・精神的苦痛を伴う奉仕をさせたのです。
 これは有名な話ですし、長くなるので詳細は省きますが、毎日ひどい言葉を浴びせられながら、たった一人で、昔ですから機械も使わずに素手で、九階建ての塔の建設作業をさせられたのでした。しかも完成間近になるとまた自分でそれを全部壊させて、別の場所に新たに建てさせるなどのことを繰り返されました。これにより肉体的にも精神的にもミラレーパはボロボロになっていきます。
 それだけではなく、法友たちとの集いの中で、ミラレーパは一人だけ、全く価値のないボロぞうきんのように扱われました。弟子たちがマルパの教えを受ける場においても、ミラレーパはマルパに「なんでお前がいるんだ!」と怒鳴られ、投げ飛ばされ、蹴飛ばされました。
 誰よりも過酷なグルへの奉仕をたった一人でしているはずなのに、最も価値のない弟子のように扱われ続けたのです。こうしてミラレーパの肉体的・精神的苦悩はピークに達しました。
 そのような、現代的に見たら究極のパワハラともいえる笑、非人道的な扱いを受けても、マルパへの信を失わずに奉仕を続けていたミラレーパでしたが、ついに苦悩が限界に達し、衝動的にマルパのもとを去ってしまいます。
 行く当てもなく放浪していたミラレーパは、ある老人から、文字が読めるなら経典を読んでくれと頼まれます。その経典は「八千頌般若経」という経典で、その中には観音菩薩の前世ともいわれるサダープラルディタの話が載っていました。サダープラルディタは師であるダルモードガダに教えを受ける際に、師に捧げる供物を持っておらず、お金も全く持っていなかったので、自分の肉体を売ってお金を稼ごうと考えました。その殊勝な心を見て驚いたインドラ神が、彼の心を試そうと、人間の行者に姿を変えてサダープラルディタの前に現れ、儀式に使うので人間の骨や脂身が欲しいと要求しました。するとサダープラルディタは躊躇することなく刃物で自分の肉や骨を切り裂き始めました。あたりは血だらけになりました。サダープラルディタがなかなか自分の骨が固くて切れずに困っていると、優しい少女がやって来てそれを止め、サダープラルディタの代わりにダルモードガダへの供物を用意すると申し出ました。またインドラ神も自分の正体を明かし、サダープラルディタの傷をいやすと、サダープラルディタを称賛して去っていきました。
 さて、この話を読んだミラレーパは、「サダープラルディタだったらグルに自分の心臓さえも差し出しただろう。それに引き換え私は何も差し出していない」と考え、マルパのもとへ戻る勇気が出てきました。
 こうしてミラレーパはマルパのもとへ戻ったのですが、マルパのひどい態度に苦しめられ、再びそこから逃げようとします。
 マルパの妻のダクメーマは、マルパの深い意図が理解できず、ミラレーパを哀れに思っていました。そこでミラレーパに手を貸し、マルパの手紙を偽造して、マルパには内緒で、ミラレーパをマルパの高弟のゴクパのもとへと送りました。
 ミラレーパはゴクパのもとへ行き、「ミラレーパに秘密の瞑想法を教えて修行させなさい」というマルパからの偽の手紙を渡しました。ゴクパはそれをマルパの指示と信じてミラレーパに伝授を行ない、瞑想させました。しかしグル・マルパからの正式な許可・祝福がなかったため、その瞑想は何の効果も生みませんでした。

 さて、ミラレーパは塔の完成間近で逃げてしまったのですが、塔の建設作業はその後も他の者によって続けられ、ついにそれは完成しました。そしてその完成の式典にゴクパとミラレーパも呼ばれました。

 ゴクパはマルパの高弟ですが、そのときはすでに独立して他の場所で多くの自分の弟子たちに教えを説いており、その弟子や信者たちから布施された多くの財産を持っていました。
 そして久しぶりにグル・マルパのもとへ会いに行くこの機会に、ゴクパはなんと、金銀宝石や経典などの価値ある品はもちろん、その当時の富の象徴である多くの家畜や、またすべての家庭用品までも含め一切合切の所有物を、マルパへの供物として持っていったのでした。
 「私のものはすべてグルのものです」とはよく言われることですが、ゴクパはそれをまさに言葉だけではなく実際に実行したのでした。
 全財産・全所有物を持ってマルパのもとへ向かったゴクパでしたが、家畜の中で一頭、年老いたヤギがいて、足を骨折していて群れについてこれなかったので、そのヤギだけはやむなく置いていきました。

 さて、マルパのもとへ到着したゴクパは、自分の全財産を布施として持ってきたことを報告し、どうか教えをお与えくださいと懇願しました。そして年老いたヤギが足を骨折していたため、それだけ持ってくることができなかったと正直に報告しました。
 それを聞いたマルパは、ゴクパの帰依の心を称賛しつつも、「しかし、老いぼれていようが足が折れていようが、その年老いたヤギを持ってこなかったならば、教えは与えられないな」と言いました。
 それを聞いた周りの者は冗談だと思い、どっと笑いましたが、ゴクパだけは真剣な顔をして、翌日、自分の住居へ一人で戻ると、自らその年老いたヤギを肩に背負い、丸一日かかる距離を歩いて戻って来て、そのヤギをマルパに布施しました。マルパはゴクパを称賛し、皆もゴクパの帰依心に驚き、深く感嘆しました。

 そしてその後、マルパはついに、ミラレーパとその場にいた者たちに、ミラレーパに与えた試練の種明かしをしました。
 もともと最初からミラレーパが自分と縁のある優れた弟子であることはわかっていたこと、そしてミラレーパが持っていた悪業を「グルへの帰依・奉仕」という条件によって逆利用することで、浄化するのみならず一気にミラレーパの無明を破壊し、解脱させようとしたこと。
 そしてもしミラレーパが最後まで逃げることなく、塔を完成させていたならば、ミラレーパはその時点で完全な解脱を達成していただろうと言いました。つまり瞑想修行も、形のある修行も全く何もすることなく、ただグルの指示の実行、奉仕だけで解脱していただろうと。
 しかしミラレーパは最後の最後で逃げてしまったために、それは実現されなかった。しかしそこまでの忍耐と奉仕によって、多くの悪業は消え去った。よって今こそお前を受け入れ、教えを与え、瞑想させ、幸せにしてやろう、とマルパは言いました。

 こうしてミラレーパの苦難の日々は終わり、マルパから秘密の教えを受け、それを長い間修行することで、チベットで知らぬ者はいないほどの偉大な成就者となるのでした。

 ところでこの話は一見ハッピーエンドではありますが、もちろんミラレーパが最後まで逃げずにグルの指示と試練に食らいついていれば、その時点でミラレーパは完全な解脱を達成し、その後の長きにわたる瞑想修行もいらなかったともいえます。
 マルパほどの偉大なグルになると、弟子のカルマも、そこから悟りへの道も手に取るようにわかるので、通常の人間には全く想像もできないかたちで、弟子が成長し、解脱していくための道を計画し、実行することができます。
 ミラレーパはその計画を理解できず、最後の一割ほどを残して逃げてしまったわけですが、ではマルパはその残った一割を、別の試練をミラレーパに与えることで消化し、ミラレーパをあっという間に解脱させることはできなかったのでしょうか?
 それはできないのです。そんなに甘いものではないのです。この話で言えば、ミラレーパが何の修行も無しに奉仕だけで完全な解脱をするチャンスは、この一回だけだったのです。そこから逃げてしまった後は、すべての条件がまた変わってしまうので、同じようなシステムを発動することは不可能なのです。
 つまりミラレーパは、グルの慈愛が理解できずに、一生に一度の、最高のチャンスを逃してしまったということになります。
 もちろんミラレーパの場合は、その後の修行によって最高の解脱に達したので問題ないのですが・・・・・・今回ここで最後に書きたかったことは、このような「一生に一度の大チャンス」ではなくとも、もっとミニマムな意味では、このようなグルの慈愛による「一気にジャンプアップするための機会」は、弟子には多々訪れているということです。
 それは必ずしも苦しみを伴うとは限りませんが、カルマの浄化にも関わることですから、苦しみを伴うことが多いでしょう。
 そして修行者は、そのような苦しみがやってきたとき、多くの場合、それをグルの愛による千載一遇のジャンプアップのチャンスであるとは理解できず、逃げます。逃げるというのは、修行をやめるとまではいかなくても、理想を捨ててエゴを優先させたり、忍耐を放棄したり、怒りを爆発させたり、卑屈になったり、ひどい場合にはグルに文句を言ったり笑。
 このような逃げにより、あるいは時の経過により、その苦しみはいったん終わるかもしれませんが、それはその修行者にとっての大いなるジャンプアップの機会を逃したのかもしれません。そしてその機会は、二度とないわけではありませんが、また同様の機会はいつ来るかわからないかもしれません。

 このマルパとミラレーパの話は、グルが弟子に与える特殊な仕掛けの、非常にわかりやすい例ですね。ティローとナーローの話になると、あまりに高度すぎて一般には理解不能になりますが笑、マルパとミラレーパの話はまだ分かりやすいでしょう。そしてミラレーパは、偉大なグルのもとで不屈の忍耐を持って帰依の道を行く者は、どんな大きな悪業があろうとも聖者になれるんだということを、身をもって示してくれたのかもしれません。そしてそのチャンスは何度もあるものではないのだということを。
 
 これを見ている修行者のみなさんも、もし偉大な師がいるならば、自分にやって来る苦難や試練はすべてそのような大いなるチャンス、グルが与えた千載一遇のジャンプアップのチャンスであると考え、その稀有なる機会を逃さないように頑張ってください。

 ちなみに、このミラレーパが建てた塔は、マルパの息子のタルマドデのために建てられたものでした。このタルマドデはマルパの息子の中で唯一の素質のある、マルパの分身ともいえる偉大な修行者でしたが、落馬事故で若くして死んでしまいます。これはこの塔の試練のときのミラレーパのカルマを背負った結果だったのかもしれませんね。

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