パドマサンバヴァの秘密の教え(55)「二十一の無益なこと」
◎二十一の無益なこと
師パドマはこう仰った。
「ダルマを修習しているとき、二十一の無益なことがある。」
ツォギャルは尋ねた。
「それらは何でしょうか?」
師はこうお説きになった。
「衆生に対して害を与え続けているなら、菩提心を起こしても無駄である。
サマヤを遵守していないなら、エンパワーメントを受けても無駄である。
あなた自身の心のためにプラスになることを実践しないのなら、多くの教えを学んでも無駄である。
善根が悪行と一緒に混ざっているなら、善を成しても無益である。
常に間違った行為をしているなら、師に従っても無駄である。
ダルマの修習をあきらめ、間違った行為を犯すような指導者になるのは、無益である。
八つの世俗的な関心事を増長する任務に就くのは、無益である。
常に衆生に対して嫌悪を抱いている指導者に従うのは無益である。すべての衆生はあなたの両親なのだから。
悪行を続けているなら、地獄に恐怖を抱いていると言っても無意味である。
寛大な行いに菩提心が伴っておらず、信仰がないなら、その行為は不毛である。
誓いを守る決意が無ければ、誓いを立てても無益である。
あなたの怒りを正しい対抗手段を用いて捉えないなら、忍耐を修習しても不毛である。
あなたの心がいつも怠惰か論争に浸っているなら、瞑想を修習しても不毛である。
悟りへの道に向かっていないなら、勤勉さをもって努力しても無意味である。
嫉妬や他の五毒を増大させる邪道の知識を発達させても無益である。
慈悲の道が欠けている大乗の教えを修習しても無意味である。
あなたの心の本質の理解を欠いたまま瞑想の段階を修習しても不毛である。
実践しないなら、口頭での教示を受けても無意味である。
菩提心を伴わずに衆生に利益を与える行為を成しても不毛である。
いずれにせよ、これらの事柄は不毛であり、そのような多くの行為をする必要などまったく無いのだが、精神が子供じみた人達は聞く耳をもたないだろう。」