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パドマサンバヴァの秘密の教え(117)「自性から外れること」

◎自性から外れること

 さて、『自性』から外れることについても四つのポイントがあり、その一つ目の『自性から外れる状態』は次のとおりである。
 空の悟りの自然な輝きはカーヤと智慧として輝かしく存在し、顔や腕を有した身体も見せかけの智慧も持たず、どんな限定的な属性からもならない。
 この自然な空性の輝きは、単に空性から不可分の認知の質としてあるのだ。
 この空性の認知を不可分の融合体だと気付き損ねることが、認識が二元的な認知へと外れて行くことである。

 誰かがこのようにして誤った状態に外れてしまったことの兆候は、彼がダルマの言葉を極端主義的な態度で表現することである。
 この結合を描写する言葉を教わりながら、彼の心はそれらを掴み取れないでいる。

 このように誤った状態へ外れることのデメリットは、知覚された対象を実体があるものとみなす概念的態度により、あなたが『すべては心である』という教えを理解することが妨げられることである。
 概念的哲学の熱心な追求を通して、あなたは全智への道と段階から切り離されてしまう。
 認知されたものを確かな現実として固定する者は、解脱することはできない!

 このように誤った状態に外れることの影響は、外面的には、堅固さを光輝さの顕現の起因としたために、諸々の領域への転生して現れる。
 内面的には、この一方的な態度─―認識を空性の認知だと気付き損ねること―─は、解脱への因とはならない。

 ツォギャルよ、光輝を悟ったと主張するものは多くいるが、空の認識の統一を学ぶ者はほとんどいない!

◎潜在的可能性から外れること

 さて、潜在的可能性に関しても、同様に誤った状態へ外れてしまう四つのポイントがある。

 潜在的可能性から外れる状態とは、要するに、それらがどのように現れようと、空性の認知の自然な輝きとしての認識から顕現するあらゆる思考は、空性の認識を凌駕することはないのだが、これを理解し損ねることを、『空性の認識から外れること』という。

 このように誤った状態へ外れてしまったことの兆候は、その者の身・口・意が今生の世俗的な探求に巻き込まれ始めることである。

 このタイプの誤った状態へ外れてしまうことのデメリットは、思考の生起がダルマカーヤではないという概念的な態度が、生起するあらゆる思考にあなたを縛り、あなたの修行を無効にしてしまう。
 あなたの潜在的な傾向として優勢な否定的習慣は、あなたにこの人生の目的をのみを追求させる。
 二元的な疑念の足枷に捕われると、あなたは自身を希望と恐れに繋いでしまう。

 このように誤った状態へ外れてしまうことの影響は、道から外れている思考に気付き損ねることで習慣的な傾向を固めてしまい、カルマの法則に注意していないために、人生を気晴らしに費やしてしまい、死の際には三悪趣へと落ちて行く。

 多くの者が『私は思考から自由だ』と主張するが、思考が生起した時にどのようにそれから解き放たれるかについての要点に気付いている者は、ほとんどいない。」

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