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パトゥル・リンポチェの生涯(7)

 ツァチュカのマモ・ドで、彼は多年にわたって、名高いドブム、驚くほど巨大な石の壁でできた建造物――それぞれの石には数多くのオーム・マニ・パドメ・フームのマントラが刻まれている――を広げることに力を尽くしました。この壁の建造はパトゥルの前任者によって始められました。このときから初めて彼は彼に捧げられた供物すべて受け取り始め、捧げられたバターはすべて祈りの言葉を彫りこむ者を雇うために使われました。
 その石の建造物が完成したとき、彼はキェンツェ・ワンポにそれを奉献してくれるよう伝言を送りました。その特別な日、奉献の祝福の穀物が八日間馬に乗ってやって来たキェンツェ・ワンポによって投げられ、人々の目の前の石の壁の上に落ちました。

 タマルンでは、彼はテクチューとトゥーゲルという修行を教え、指導しました。後に、彼の主要な弟子であるテンジン・ノルブ(テンリ)はこう述べています。

「私は以前ゾクチェンについていくらか理解していましたが、タマルンでそれを完全に理解し、悟りました。」

 1872年頃、当時8才だったドドゥプチェン3世がツァギャ・ゴンにやって来て、パトゥル本人から教えと伝授を受け取り、ドドゥプチェン自身は入菩提行論の教えを非常に多くの公衆の集まりの前で説きました。そしてその集まりには、パトゥルも参加していました。それから、パトゥルは朗報をキェンツェ・ワンポに送り、こう言いました。

「学習のダルマに関して言うと、ドドゥプチェンは8歳のときに入菩提行論の教えを説きました。悟りのダルマに関して言うと、ニャクラ・ぺマ・ドゥドゥル[1816-1872]はちょうど虹の身体を得たところです。そう、ブッダの教義はまだ滅んでいないのです。」

 当時、ドドゥプチェンは壁を通して、次のようなパトゥルの声を何度も耳にしました。
「偉大なるグル・パドマサンバヴァよ、どうか私を見守ってください。私にはあなた以外の頼るべき者はいないのです・・・・・・」――これは、ロンチェン・ニンティクのンゴンド(準備修行)にあるグル・パドマサンバヴァへの嘆願の言葉です。このことは、ンゴンドが彼の主要な修行の一つであったことを示しています。

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