パトゥル・リンポチェの生涯と教え(41)
◎修行に対するパトゥルのひたむきさ
パトゥルの心の弟子であるニョシュル・ルントクは、彼自身の弟子に、パトゥルは毎回の瞑想のセッションの一部として、心の訓練(ロジョン)の修行を行なっていたと言った。
パトゥルはときどき、「私はたとえ殺されるとしても、これを達成する!」と叫びながら拳で自分の胸を打っていたと、ニョシュル・ルントクは語った。そのように凄まじい様子で修行をしていたのだ。
パトゥルは何年もの歳月をゴロクで過ごした。おろらく十年くらいはそこで過ごしたのではないだろうか。おそらく約十年の歳月を、マルコク、ドコク、セルタ、ツィカというゴロクにある四つの谷で過ごした。
ドゥドゥプチェン一世が、毎年開かれる四十五日間のグヒャサマージャ・タントラの説法会と修行会を開いていた。パトゥルはその教えを授かり、また、説法会の助手になってくれるように頼まれた。朝授かった教えを午後に復習する生徒の手伝いをするのである。それに続いて、シェンペン・タイェがヤルルンを留守にしたその後の二年の間、パトゥルは毎年開かれる四十五日間のグヒャサマージャ・タントラの説法会と修行会を指揮した。
僧たちは、ミンリン・ロンチェンが書いたその解説を学び、毎日根本タントラを暗誦した。ドゥドゥプチェン三世は後にこう述べている。
「シェンペン・タイェとパトゥルのおかげで、これらのグヒャサマージャ・タントラの教えによって、まるで雲の隙間から太陽の光が差し込むように、この地域にヴァジュラヤーナの伝統がもたらされました。」
そして、ヤルルン僧院でパトゥル・リンポチェは、年に一度、一か月間、入菩提行論の説法と修行を行なう伝統を作ったのだった。
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