ド・キェンツェー・イェシェー・ドルジェの生涯(19)
初夏のあるとき、ド・キェンツェーはタルツェドに向かう途中でミニャクのドラ・カルモにて一晩幕営しました。彼はマーモットを撃ち、そして帰りに必要になるからそれを埋めるようにとオーセルに言いました。
秋になり、彼らがその場所に戻った際、彼はオーセルにその死体を掘り返してくるように言いました。その死体は毛の一本さえ残っておらず、ほとんど消える寸前でしたが、オーセルはそのかけらをすべて集め、彼の前に置きました。ド・キェンツェーがそれに手で触れると、元のマーモットがよみがえり、キーキーと鳴き声を立てながら走って逃げていきました。オーセルはこれまで彼が死んだ生き物を生き返らせる姿を数多く目にしたことがありましたが、しかしそれは普通は死んで間もない動物の場合であったと述べています。
ある日、チャクラの国王がイニシエーションを求めました。オーセルは準備を終えたとき、自分たちの隠遁所から唱えるべき経典を持ってきていなかったことに気づきました。しかもその場所はきわめて遠くにありました。しかしド・キェンツェーは“大丈夫さ”と言いました。
翌日、日の出の直前、隠遁所への中間あたりを歩いている彼の姿が、また日の出の頃には、隠遁所にいる彼の姿が人々によって目撃されました。朝食時に、宮殿の侍者たちがド・キェンツェーが裸足で宮殿に入ってきたことを国王に報告したところ、国王はこう答えました。
「いいや、そんなはずはない。彼は朝食を食べていたのだから。」
国王と侍者たちは疑問に思い、ド・キェンツェーの部屋へと駆け込むと、汗をかいている彼の姿を目にし、机の上には経典が置かれていました。そしてド・キェンツェーはこう言いました。
「疲れました。経典を取りに行ってましてね!」
その後、ド・キェンツェーはギェロンのゲシェ地方にキルン寺を建て、およそ百人の弟子たちにロンチェン・ニンティクのイニシエーションを与え、ンゴンド、ツァルン、ならびにイェシェー・ラマを教えました。後年、キルン寺にはセンカル・リンポチェ一世が座主に就き、現在のセンカル・リンポチェ、つまり、ド・キェンツェーの転生者であるトゥプテン・ニマ(1943年~)の主な座の一つになりました。