ド・キェンツェー・イェシェー・ドルジェの生涯(17)
ある日、ギャロンのムルド山脈において、ド・キェンツェーは息子のレルティを険しい山の洞窟へと連れて行き、そこで彼に待っているように言いました。ド・キェンツェーはレルティを洞窟で待たせたまま幕営地に戻りました。暗くなっても父が戻ってこないので、レルティは死への恐怖のためほとんど動くこともできませんでした。突然、彼は父が来るように呼んでいる声を聞き、目の前に光の絨毯があるのを目にしました。ためらいも疑いもなく、彼はそれに座り、そして気がつくと幕営地にいました。
あるとき、ド・キェンツェーはギャロンのツィガクのタクワルの非常に狭い山道を旅していました。彼はリクツァル・トグメにこう言いました。
「もしあなたに勇気があるなら、私と私の馬を突き落としてみなさい!」
リクツァルは彼らを突き落とし、彼らは数百フィート下のギェルモ・ングルチュ河に落ちていきました。リクツァルは「もはや私のラマは死んでしまった」と思い、彼らの後を追って飛び込みました。ド・キェンツェー、彼の馬、彼の剣、ならびにリクツァルの跡が、まるでそれが泥であるかのように岩の上に残り、それらは川の水位が低くなる冬にはまだ今でも目にすることができます。
それからド・キェンツェーはリクツァルに自分の後ろにいる馬に乗るように言い、彼らは険しい岩山を一歩一歩跡を残しながら、よじ登っていきました。それ以来、その危険な道では滑落死が起こらなくなったそうです。
1829年、ド・キェンツェーの息子のシェーラプ・メパル、つまりドドゥプチェンのトゥルクが、ドドゥプチェン自身が予言したとおりに驚くべき前兆とともに誕生しました。子供の頃から、彼は肉を食べませんでした。しかし不運なことに、彼は14歳で亡くなりました。
ド・キェンツェーの二番目の息子であるリクペ・レルティ(1830-1874年)は、ジグメ・リンパの息子のギェルセ・ニンチェ(1793-?)のトゥルクであり、シルノン・ギェーパ・ドルジェの父、つまりド・リンポチェ二世(1890-1953年)でした。