スワミ・プレーマーナンダ「信者への奉仕」(3)
ウメシュ・センは、こう書いています。
「バブラム・マハラジはしばしば、来客の不自由と必要を詳しく調べるために、マトの敷地を見て回り、そして彼らの困難を取り除くために労を惜しまれなかった。わたしが病気であるのを見ると、彼は心配してくださった。川を渡らなけらばならない人々のために、彼はよく自ら彼らのために、通り過ぎていこうとするボートを呼び止めくださったのだった。
ある日、彼はわたし達に仰った。
『洋ナシの木に登り、あなたたちが望むだけたくさんの洋ナシを食べなさい。また、着衣に結ぶのに十分な洋ナシを落とし、カルカッタの家に帰るときに持っていきなさい。』
当時は、私たちはみなまだ若く、これらの指示をうまく利用したものだった。
プラサードを受け取っているときでさえ、彼は他者が必要なものについて気を配っていた。皆がもっと多くのお米、ダル、水や塩等を求めているのではないだろうか、皆が席を取ることができただろうか、と彼は尋ねた。
彼自身はごく少量しか食べなかったが、自分のプレートからプラサードを受け取り、(とりわけその食べ物が上手に調理されていたときほど、)それを信者たちに分配した。
ある日、カチュ(のどに影響を及ぼす食用の根)が給仕され、喉がひどくヒリヒリしたため、わたし達はプレートに盛り付けられたものをほんの少量しか食べられなかった。
しかし彼はプレートの上のものを全部ガツガツとたいらげ、こう仰った。
『本当に、喉はヒリヒリしますか?』
プレーマーナンダジの愛の魔法の接触は、信者でない者を信者に変え、残酷な人物の残酷さを忘れさせた。皆をけなすような人物でさえ、そのような愛は他のどこにもほとんど見つかることができないと、認めなければならなかった。
偉大な科学者であるジャガディーシュ・チャンドラ・ボースはこう言った。
『わたしは世界中あちこちを旅したが、「ようこそ! 来てお座りください! 食べてください!」とだけしか言われない(このような)場所は、他のどこの場所でも出くわすことがなかった。』
数人の利己的な男たちが、バブラム・マハラジの信者達への配慮の行き届いた世話を誤って解釈し、悪意のある噂を拡散し始めた。それに対する彼の返答はこうだった。
『たくさんの人々が楽しみのためにガーデンハウスへ行くか、もしくは喜びを与えてくれる他の場所を訪れる。私たちは、彼らはそれらの中に何か価値を見い出すのではなく、ここへ来ることを選んだのだと思うべきだ。そうでなければ、彼らはどうしてここへ来ることができるだろう?』
また、街路からたくさんの人々が、無料の食事を得るためだけにマトヘやってくるようになっていることを非難する者もいた。
これに対して、彼はこう答えた。
『そうさせておきなさい。タクルのプラサードを得る者は誰もが、そこから何か利益を得るに違いないと、わたしは強く信じているのだ。』
訪問客の時ならぬ到着が多くの不便を引き起こしたという意義が上がったとき、彼はこう答えた。
『思いやりを持ちなさい! 家住者は非常にたくさんの責務を負っているのだ。どうして彼らが毎日、食事の定刻に来ることができよう?』
かつて、ある訪問客がマトへ来て、長く滞在することなく去ろうとしていたときだった。バブラム・マハラジは正門の近くに立ち、その男性が束の間に去ろうとしているのをご覧になると、彼が何もプラサードをもらうことなしに去るかもしれないと心配された。彼は貯蔵庫の管理者であるラシュビハリ(アルパーナンダ)に尋ね、ラシュビハリはこう答えた。
『彼は少しも待ちませんでした。どうしてわたしが彼にプラサードを手渡すことができましたでしょうか?』
これを聞いたうえで、バブラム・マハラジは仰った。
『それでもやはり、彼はマトの土地の中に入ったのだから、君は彼を呼び、プラサードをあげるべきだった。家住者として住んでいるからには、男はあまり食べることができず、子供達に食事をあまり与えることもできない。今やタクルの恩寵によって、わたし達はここでお腹いっぱい食べることができる。なぜ君は、惜しみなく他者へ提供することができないのか?』」