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シュリー・チャイタニヤ・マハープラブ(14)

【南への巡礼】

 この最初のプリーへのチャイタニヤの滞在はごく短期間で、2週間または4ヶ月とされています。チャイタニヤは、兄のヴィシュヴァルーパを探すために一人で南方巡礼に行くという決意を表明しましたが、本当の理由は、愛の宗教を広めるためでした。巡礼は1510年の4月10日に始まり、2年間を要しました。二ティヤーナンダをはじめとするナヴァディープの信者やサルヴァバウマら新しい信者たち全員がその表明を非常に悲しみましたが、情け深いチャイタニヤもこのときは一度決めた決意を譲りませんでした。唯一の友としてのクリシュナと共に、水筒と腰布だけを持ち物として、チャイタニヤは出発しました。
 サルヴァバウマは、チャイタニヤにゴーダーヴァリの湖畔にあるヴィディヤーナガルにあるカリンガのガジャパティ・プラターパ・ルドラ君主の代理人であるラーマーナンダ・ローイという男と、旅の途中で会うように頼みました。ラーマーナンダ・ローイは、ブラーフマナ・パンディットではありませんでしたが、類まれな信仰心を持つ男でした。

 チャイタニヤは東海岸沿いにカンニャークマーリーとセートゥバンダに向かって南へ進み、そこからプリーへ向かって中央インド、西インドとガンガー渓谷を抜けて旅を続けました。さらに数々の村を通り抜け、52カ所の聖地に様々な期間、滞在しました。チャイタニヤの魅力はいたるところで大勢の群集をひきつけ、その恍惚的ダンスとクリシュナの御名の詠唱は人々に多大な影響と刺激を与えました。チャイタニヤはこの旅行中、ナディアにいた頃よりもさらに強い情熱的信仰の磁気的パワーを顕しました。いくつかの地では、カーストやその信条に関わらず、クリシュナの御名と踊りで村全体を真のヴィシュヌ派に改宗させました。学問の重要な中心地や宗教宗派の重要なセンターで、チャイタニヤは神学の権力者たちに会い、カーストの差異に関係なく尊敬を集めました。

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