シャブカルの生涯(21)
あるとき、わたしの親戚であり法友のベンデが、わたしの母と一緒に異議を唱え、わたしが話をでっち上げていて、彼らのサマヤはそんなふうに害されていないと言いました。のちにベンデの怒りがおさまり、彼がわたしを家に来るよう招いたとき、われわれは一杯のお茶と一杯のチャン(麦酒)を飲みながら、さまざまな宗教的な事柄と世俗的な事柄について話し合い、彼はこう認めました。
「怒りは単に自分自身に害をもたらすだけではないか? お前はわたしに善きことをしてくれた。」
そんなふうに彼はわたしを褒めました。
わたしは家で過ごしているあいだ、誰に対しても悪口を言った覚えはありませんでした。宗教的な集まりやわれわれがダルマを聞いているときの休憩時間に、人びとを疲れから解放し少しばかり目覚めさせるためにわたしが面白い話をすると、彼らはみな笑い出しました。なかにはこれらの話を思い出して、笑いの止まらない者もいました。わたしが口を開くだけで、彼らはほとんど笑い出すのでした。年老いたヨーギーの中には、お茶休憩のときにわたしに話すよう頼み、こう言ました。
「ンガワン・タシよ、冗談を言ってくれ。」
そして彼らは面白がっていました。
わたしが誰の心も傷つけることのない気の利いた話をすると、人びとは笑わざる得ないのでした。祝宴や人気のある集まりのとき、わたしが冗談を言ったり、おどけたりすると、みんな上機嫌になりました。わたしが世俗を放棄して長くたった後でさえも、老人たちがわたしの冗談を思い出し、笑ったりしたそうです。
ときどきわたしは、尊敬すべき主カルデン・ギャツォの霊性の歌を老人たちに歌い、彼らにオーム・マニ・パドメー・フームを唱えるよう励ましました。わたしは彼らにできる限りそれらの歌の意味を説明し、老人たちの心をダルマのほうに向かせました。それらの歌の一つはこう歌われています。
「もしあなたが霧に覆われた峰のふもとの
山の隠遁所を目指すなら、
険しくごつごつした岩の中には自然の洞窟がある。
そのような場所にとどまれば、
すぐさま究極の喜びを得るだろう。」
わたしは山の隠遁所を賛美する歌を歌うといつも、自分が山の隠遁所にとどまる幸運が得られる日が来るようにと願うのでした。